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にがにが日記/岸政彦 |
ウェブ連載時に読んでいて、いつのまにかフェードアウトしてしまったが、書籍化されたことを知って読んだ。社会学者ではなく、人間・岸政彦の脳内をひたすらのぞいているような日記でオモシロかった。
2017〜2022年まで各年の特定の期間に書かれた日記と、飼い猫である「おはぎ」との最後の日々を綴った日記の二部構成となっている。日記はZINEを筆頭としてブームが続いているが、著者の日記のダダ漏れっぷりは他の追随を許さない。脳内で思いついたことをキーボードに叩きつけている様が容易に想像できる。普通なら、この叩きつけたネタ帳を推敲していくのだろうが、あえてそのままにすることで、思考のフローを読者にトレースさせるような構成がユニークだった。一筆書きであり、日々のこと、考えている断片が矢継ぎ早に飛び込んできた。読み進めるにつれて、その離散っぷりは加速していくのだが、反比例するようにそのグルーヴがクセになって魅了された。
「適当に」書いているので、打ち間違いを含め校閲で問題になりそうな部分を、あえて日記の中で校閲の人に語りかけて、間違いをそのまま残させる、そのメタ的な日記スタイルは日記本というフォーマットの「読み手がいないように書くが実際はいる」という不在の中の存在を明らかにしており興味深かった。そんな適当な中でも、50代に突入した著者による人生論よろしく、人生の真理に迫るような論考がふっと書かれているから油断ならない。子どもがいる分だけ可変的な要素があるものの、こと自分だけにフォーカスしてみると人生はルーティン化して硬直しがちだ。本著ではライフイベントと自身を対比しながら、にがくなりがちな人生をどのようにご機嫌に過ごしていくのか、考えている様子が参考になった。また幾多の書籍で既に自明ではあるが、生活と地続きの中で放たれる言葉にシビれた。
後半の「おはぎ」という飼い猫の最後を看取る日記はハードだった。人間の介護と遜色ない、予断を許さない状況に息が詰まるし、著者およびパートナーのおさいさんの「おはぎ」に対する思いが溢れんばかりに伝わってきた。動物を飼ったことも看取ったこともないが、それでも胸に迫るものが相当あったので、同様の経験をしたことがある人は読むのに覚悟がいるように思う。もしくは来たるべき未来への予習と捉えるか。「喪失」に対する受け止め方の話であり、パートナーであるおさいさんの言葉が喪失に伴う寂しさを際立てるのであった。
おさいが、好き好きって言ったらむこうもごろごろ言いながら好き好きって言ってくれる、そんな相手がもうおらん、って言ってた。同感だ。好きな相手が世界から消えてしまっただけでなく、自分のことを好きだと言ってくれる、態度で示してくれる相手が世界から消えてしまった。
2024年の今読むと、日記に何度も登場している立岩氏、打越氏の両名がこの世にいない切なさが胸に去来する。私たち読者は彼らの残した文を読み、語らうことで弔うしかないと改めて感じたのであった。ということで積読している『ヤンキーと地元』を読む。
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