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死なれちゃったあとで/前田隆弘 |
積んであったので読んだ。タイトルからして、今読みたかった本だった。JJJ逝去について、安易に言語化できない気持ちがあるのだが、そんな灰色の気持ちを少し和らげてくれる、死への向き合い方を考えさせてくれる稀有な一冊だった。
編集者・ライターである著者の周りで起こった死にまつわるエッセイ集。もともと文フリで売っていたZINEが商業出版されたもので、最近のZINEブームの先駆けともいえる。死といえば、どうしても「悲しい」「辛い」というイメージばかり浮かびがちだが、実際には喜怒哀楽が存在することに気づかされる。また、死自体にもさまざまな種類が存在し、それに伴って変動する、残された側の感情のあり方について、ここまで具体的に踏み込んで描いているエッセイは読んだことがなかったので興味深かった。特に「父の死、フィーチャリング金」はあまりにもすべてが生々しく綺麗事は一切見当たらない。死とお金は切っても切り離せないことを眼前に叩きつけられたようだった。
このように死の周りに転がっている現実について、お金、事故、病気とその治療など普段聞くことが少ない数々の事例について知ることができたのは、人生の予習をしているようだった。病気のように近い未来に亡くなる可能性を知っている場合と、自死、事故死のように唐突に死の暴力性が剥き出しになる場合の両方が描かれているので、死を立体的に捉えることができる構成となっている。そんな中でもコロナ禍は特異点といえるが、コロナ禍で亡くなった場合の葬儀がどんなものだったのか、これは歴史に残る重要な記録とも言えるだろう。
著者の後輩であるD氏は自殺で亡くなっており、彼の死が本著で最もフォーカスされている。数ある死の中でもタイトルの言葉が最も響くのは自死であることは間違いない。自分の意思で急に世の中を去ってしまい、その後に残された側の放り出された感情はいろんな形で存在し、表現される。そこに当然優劣はなく、著者はその感情の置き場について向き合った過程を本著に書き残してくれている。忙しい日常の中で、人の死はどうしても見ないように蓋をしてしまいがちだが、少しでも思い出して、何か具体的に行動することで見える景色を身をもって見せてくれていた。
友人のラッパーである黒衣の曲「バカとハサミ」にある「ログインしてなきゃ死人扱いか?」というリリックが好きなのだが、それを地でいくエピソードがあり、ネット時代の生死に関する考察が興味深かった。今では死後に家族がログインして代理報告する場面を見かけるが、家族に公開していないアカウントであれば、更新が止まったブログやSNSアカウントの残留思念は、死後そのままインターネットを放流し続ける。それは生きているとも言えるし、死んでいるとも言える。そんな生と死の境界があいまいになる現代だからこそ、葬式が持つ「区切り」としての意味が改めて浮かび上がっていた。
本著では身近な人の死が数多く取り上げられているが、物理的な距離はあるものの、身近な存在であるアーティストの死との感情の折り合いに困るときがある。とりわけヒップホップというジャンルではアーティストが若くして亡くなるケースがあまりにも多く、そのたびに心が痛む。そのたびに「YOLO(You Only Live Once)」 が毎回頭によぎり、行けるときにライブは行っておいたほうがいいし、やりたいことがあれば、just do it だなと毎回思わされるのであった。
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