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ハンチバック/ 市川 沙央 |
Kindle Unlimitedの無料期間が終わる直前、偶然見つけて読んだ。芥川賞受賞のタイミングから気になっていたが、想像をはるかに超えて、読者の小説観を大きく更新してくるような内容だった。
若い頃から背骨が曲がってしまう障害をもった中年女性が主人公。冒頭、村上龍よろしくハプニングバーでの性交の様子が描かれて面食らうのも束の間、それが「コタツ記事」であり、その筆者が主人公自身であることが明かされる。障害と露骨な欲望という、世間では結びつかないとされているものを冒頭から接続することで、ただならぬ小説であることが一発で伝わってきた。
そこから繰り広げられる主人公の障害者としての生活描写が非常に細やかで印象的だ。著者が障害を持つ当事者だからこそ書けるディテールであることは間違いない。たとえば、落ちたぶどうを拾うシーンといった何気ない描写にこそ、健常者には想像の及ばない現実が浮かび上がる。
後半は冒頭のコタツ記事を彷彿とさせるような、性的な展開が再び登場するのだが、その描写も衝撃的だった。呼吸器系に問題を抱える主人公が誤飲性肺炎に陥るくだりは、あまりにも生々しく辛い。健常者の「当たり前」を実現するために、妊娠し、中絶するというロジックは荒唐無稽だが、それゆえに胸に迫るものがあった。
障害者からみた健常者の特権性として、紙の本が取り上げられていることは目から鱗だった。本著は紙の本で読むか、電子書籍で読むかで、読み手のインパクトが大きく異なるだろう。健常者にとっては当たり前の紙の本が、障害者にとってはいかにアクセス困難で、ひいては「特権」であるか。その憎しみを露にされることで、ここでも私たちが無意識に享受している権利について、改めて考えさせられた。
「多様性」がデフォルトとされる現在において、本著は鉤括弧付きの多様性が包摂しきれない存在を描くことに意欲的である。朝井リョウ『正欲』にも通ずるテーマだが、著者が描こうとしているのは社会の「ハーモニー」である。会話の空気を音楽のコードに喩えたり、常に「場の調和」を意識せざるを得ない主人公の視点が、日本社会の同調圧力を暗示しているように感じた。
本著を読んで気づかされたことは、自分自身に強く刷り込まれている障害者像である。子どもの頃に観た某テレビ局の24時間チャリティ番組の影響か、障害者=品行方正で努力する存在、というイメージが強く残っていた。それゆえ、本著に描かれる強烈な厭世観や、生死に対する距離感に揺さぶられた。以下のラインに象徴されるように、本著は「生きる」ことの意味を問うてくる。障害とともに生きること、社会と折り合いをつけていくこと、そのすべてに痛みが同居していた。生きるとはどういうことか。死ぬとはどういうことか。そんな問いに真正面から向き合わせられる強烈な一冊だった。
生きれば生きるほど私の身体はいびつに壊れていく。死に向かって壊れるのではない。生きるために壊れる、生き抜いた時間の証として破壊されていく。そこが健常者のかかる重い死病とは決定的に違うし、多少の時間差があるだけで皆で一様に同じ壊れ方をしていく健常者の老化とも違う。
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