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now loading/阿部大樹 |
以前読んだForget it Notの著者による育児日記ということで読んだ。あらゆる点でソフィスティケートされた育児に関する静謐な思考の足跡が興味深かった。
子どもがはじめて言葉を話した日から、はじめて嘘をついた日まで、と限定された期間の育児日記となっている。日記ではあるものの、日付は限りなく小さく記載されており、日記として時間を区切る意図は少なく基本的にエッセイのように読めた。
育児日記、育児エッセイといえば、どれだけ大変か、いかに子どものことで頭を悩ませるかといった苦労話がたくさん紹介され、それらが報われるような心温まるエピソードがたまにあり「だから育児って尊いよね」という起承転結の構成をよく見かける。しかし、本著はそんな既存の育児本の文法から外れたところにあり、淡々と起こったこと、考えたことを書いている。いい意味で著者の喜怒哀楽の感情がわかりやすく描かれておらず、例えるなら、化学調味料を使わず、自然の出汁の味を大切にしているような文章だ。
言葉はさることながら、版組に至るまで、こだわりを感じる構成になっていた。特に改行、段落の分け方などは詩のようにさえ見える。言葉を尽くして自身の育児を説明するというよりも、行間を大切にしているといえるだろう。自分の感情や起こったことを伝えたいとき、どうしても足し算的な思考に陥りがちだが、本著を読むと要点を絞るとしれも、引き算を工夫することで、その人なりのムードが出来上がること、AI時代になっても失われない何かを文体から感じたのであった。完全に余談だが、一番ビビったのは総合格闘家の阿部大治選手の名前が登場したとき。名前もあいまって人生は数奇だなと思わされた。
著者は精神科医であるからか、患者を見るような客観的な視点が多く、自分の子どもの言葉や言動について「こういうことかも」と冷静に考察している。私は育児の当事者として、主観的視点に陥ってしまい、自分の思う通りに子どもを動かそう、言うことを聞かせようとしてしまうときが多い。しかし、著者のような一歩引いた視点を持つことができれば、もう少し育児しやすくなるかもしれないと感じた。大人の時間や都合ではなく、子どもの時間で生きることの必要性を日々感じている中で、まさに同じようなことがここでも書かれており納得した。タイトルどおり、loadを待つかのように子どもを待ちたい。
そのうち取り囲まれる規範の一々に対して、不合理と思うなら距離をおけるような、そういう意味でliberalな人間になってほしいと思っているので、予行のつもりで、彼が意見をもつならなるべく尊重するようにはしているが、たとえば風呂上りに濡れた体を拭くのを拒否されたりすると、その間は私も冷たくなっていくし、いいから、もう風邪ひいちゃうからこっち来なさい、となってしまうこともあり、これを強者による抑圧(原型)と言われれば、否定はできない気もする。
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