2025年2月20日木曜日

ペンと剣

ペンと剣/エドワード・W・サイード、デーヴィッド・バーサミアン、中野真紀子

 インスタのポストで知って読んだ。(全然別の話だが「モブ・ノリオ懐かしい!」と思ってググったら、このタイミングで芥川賞受賞時の時計をメルカリで出品していた…)ここ一年強のイスラエル、パレスチナ問題は見て見ぬふりをしてきたのが正直なところだ。ウクライナの件も含めて、この手の戦争ニュースやその背景を知るたびに「戦争」という巨大な憎悪の塊に対する自分の無力さに打ちのめされてしまうから。ただ、そうは言いながらも、現実から目を背け続けることに対して、心の中がチクチクすることには気づいており、本著のタイトルに惹かれて、重い腰をあげて読んだ。長過ぎる前置きはさておき、本著はパレスチナという国、パレスチナ人を理解する上での入門編として最適な書籍だと感じた。このタイミングで『文化と帝国主義』がみすず書房から復刊(9000円オーバー!)されるらしく、その際のインタビューがまさに表題作なので、本著も復刊して欲しい。

 デーヴィッド・バーサミアンというラジオプロデューサーが、既存のメディアのカウンターとして「オルタナティブ・ラジオ」という番組を立ち上げ、その番組におけるサイードのインタビューによって本著は構成されている。「ポッドキャストの文字起こし」といえるわけで、今の時代との親和性も高いわけだが、Q&A形式なので、サイードが何を考えているのか、とてもわかりやすかった。マスメディアから額面で受け取る情報がいかに偏ったものであるか、怒りを交えつつ理路整然と語り、彼自身の信念が、かっこいい言葉の数々で展開されていた。そのパッションはエンパワメント性が高く、前述したある種の厭世観も彼の言葉に触れることで霧散していった。

 訳者あとがきにもあるように、当時のパレスチナ情勢に応じた彼の考えの変遷を見れる点が興味深い。前半はイスラエル、パレスチナの関係性構築に対して希望的観測を持っており、80〜90年の段階で多様性を模索、それぞれの文化を尊重する必要性を訴えている点は今の時代にも通用する話だ。西洋諸国を介在させることなく、アラブの国々が主体的に自分たちで当該エリアの和平を達成できればいいという彼の志が、PLO、アラファトの台頭に応じて徐々に影をひそめていく。しかし、その中でも彼はあきらめることはなく、「Writing back(書くことによって反撃)」というスタイルに忠実であり、書いて、話すことで周りを鼓舞し、あきらめないことを必死に促しているように映った。「批評、批判なんて誰でもできる」というフレーズは、今の時代では通説となりつつあるが、批評するにも背景としての知識が必要であり、そして政治は批判という監視の視点がなければ腐っていく。それは時代、場所は関係なく、世の真理として存在することが本著を読むとよくわかる。

 著者の専門は文学研究であり、それが発揮されている場面も読みどころだ。文学という空想の世界に対して、時代背景を含めた現実を持ち込んで解釈を深めていく。たとえば、カミュに対する解釈は今まで考えたこともない視点だったので新鮮だった。彼自身の著書の延長線と思われるので、いつか読みたい。

 また、史実ベースのことでいえば、オスロ合意に対する彼の見立ては、知らないことだらけで勉強になった。特定の人物の欲望を満たすために締結されていたことが、まざまざと伝わってくる話で、結果的に合意が空っぽだったことは歴史が証明しており、彼が慧眼の持ち主であることの証左となっている。パレスチナ側の攻撃によって、今の戦争のトリガーは引かれたわけだが、その断片的な事実だけを取り上げ、パレスチナをテロ国家扱いして、イスラエルが圧倒的暴力で支配しようとすることが許容されるわけがない。点ではなく線、面で捉えないと、世界の実像を捉えることはできず、改めて歴史を知ることの意味を痛感した。彼の言葉は胸にグッとくるものが大変多いのだが、なかでも今の自分の気持ちに一番フィットしたものを最後に引用しておく。サイード氏自身が書いた著書も読みたいし、岡真理氏によるパレスチナ関連書籍も読んでいきたい。

「状況は悪い。だがくよくよしないで前進しよう」とは言えないということです。むしろ、「状況は悪い。ゆえにそれを知的に分析、その分析を踏まえた上で、状況を変えたいという願望や可能性を信じて前向きに新たな動きを構築していこう」と言うのでなければなりません。

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