2025年2月15日土曜日

0%に向かって

0%に向かって/ソ・イジェ

 宇多丸、大田ステファニー歓人の両名による帯コメントの韓国小説とくれば、読まない理由はないということで読んだ。各話でスタイルが異なり、テーマが音楽、映画ということもあり、一枚のアルバムあるいはオムニバスムービーのように楽しむことができた。そして、自分はもう若くなく、すっかりおじさんだという認識も持った。

 本著はデビュー作で、短編、中編で構成された作品集となっている。一つ目の「迷信」という短編のあまりの不安定っぷりに度肝を抜かれた。本著を最後まで読み終えると、このグラグラする感じは、著者の一つのスタイル、ポリシーであり「世界は動的な偶然で構成されているのだ」という認識に基づいていることがわかるのだが、このトーンで全編続くのか…?と最初は不安に思った。しかし、彼女のもう一つの魅力であるカルチャーを交えた形での若者の群像劇が用意されており、それらが特にオモシロかった。

 あとがきによると、著者自身もラッパーを夢見た時期があるからか、韓国ヒップホップのアーティストや曲名が具体的に登場する。韓国ヒップホップ好きとしては、それだけでテンションが上がるわけで、とくにLEGIT GOONS、 Bassagongという名前が出てきてたときは相当アガった。実際、物語内で登場する「My House」を聞くことで小説が現実世界と接続し、リアリティを増すことができる。こういった固有名詞は多過ぎると食傷気味になるが、本著では最低限に抑えつつ、そこで出すカードのセンスが個人的には抜群だった。

 さらに音楽好きという観点で続けるとすれば「Soundcloud」という中編が好きだった。ストリーミング時代における音楽のあり方について、これだけ鮮やかに切り出した小説は他に類をみないだろう。いつでも何でも聞ける今、何を聞くのか、そしてどんな媒体で聞くのか?60〜70年代のモータウンサウンドを中心に置きつつ、音楽を聞く媒体をオマージュしたフォーマットの中で、音楽と恋が展開していくストーリーはかなりオモシロかった。あと村上春樹のことを「金持ちスワッグをプンプンさせた日本の小説家」と揶揄してて笑った。

 エピソードを断片的に配置して映画のフィルムのように見せたり、前述のとおり音楽媒体をオマージュしたり、登場人物の名前をすべて「X」にして主従関係を不透明にするといった小説の構造としての斬新さがある。また、登場人物のインスタグラムのアカウントのQRが載ってたり、数独が突如登場したりとギミックも盛りだくさんだ。そんな複雑な見た目とは裏腹に、若者たちが語る率直な現状認識、正直な気持ちの数々はときに笑ってしまうし、ときに胸を締めつけられる。韓国の若者実情についてほとんど知らなかったのだが、本著のようにジリ貧の若者たちが懸命に生きていて、自己実現ひいては人生について悩む姿は日本でも同じようなことが起こっているのだろう。こういった若者の苦労を読んでいると、自分が歳をとったことを相対的に感じるのであった。

 ラストのタイトル作は、韓国の映画業界に関する考察のような小説となっており、「独立映画」と呼ばれる、資本及び権力から独立している映画界の境遇を知ることができる。日本でも映画の撮影現場のブラックな労働環境はときに話題に上がり、その対比で韓国の改善された労働環境が言及される場面は多い。しかし、それらはメジャー配給の映画に限ったことであり、独立映画ではまだまだ過酷な状況が続いていることがわかる。また、韓国映画はここ十年、二十年のあいだに世界で大きな人気を獲得しているが、その功罪についても言及されており、人気がすべて解決するわけでもないことが理解できた。ただ、そんなネガティブな側面にフォーカスする中でも、映画を撮りたい気持ち、映画を愛する気持ちを大事にしたくなる着地にホッとした。「壁と線を越えるフロウ」というヒップホップをテーマにした小説があるらしく翻訳版が出ることを切に願っている。

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