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ディック・ブルーナ ぼくのこと、ミッフィーのこと |
子どもがいつからかミッフィーのことを好きになった。二歳ごろから好きな気持ちが顕著になり、絵本を読んだり、アニメを見たり、フィギュアでごっこ遊びをしている。図書館に絵本をよく借りにいくのだが、最近は自分で探してきてしばらく眺めていることも多く、こちらが手持ち無沙汰になる。そんなとき、子ども本のフロアにある「絵本・児童書研究」といった大人向けの棚を見ることが習慣になり、そこで本著を見つけてオモシロそうと思い読んだ。ちょうどZINEの仕上げを進める中で、クリエティビティに煮詰まっていたのだが、光明が差すようなクリエイティブ論に救われた。また、ミッフィーに関する知らなかった情報がたくさん載っていて、そちらも興味深かった。
日本に来日したブルーナ氏にインタビューした内容がまとまった一冊となっている。一問一答形式で、彼自身の人生を振り返りつつ、ミッフィー制作の裏話が数多く明かされている。
冒頭で家族との関係性について問われ、パートナーに真っ先に作品を見せると話していた。その理由は「作品がひとりよがりになっていないだろうか?」という不安からだという。終盤にも同じようなクリエイティブ論があり、特に次の言葉に心を打たれた。
どれだけ描いても、慣れた仕事であっても、その出来ばえに謙虚になることは、創作活動に必要です。
作品のスタイルは自然に生まれてくるものではなく、探し求めるものです。(中略)スタイルの探求というのは、絶えず発展していくプロセスなのです。今もそのプロセスの途中にいると思っています。
自分は自分を客観的に見ることはできません。だから、ぼくには作品を正直に評価してくれる、信頼できる批評家が必要なのです。
第二次大戦の戦火はオランダにも及んでおり、その経験から「やりたいことで生きていく」と決意した話は、平和な時代を生きる私たちには想像もつかない。彼のキャリアも順風満帆とは言い難く、はじめはアーティストとして生きていくことを親に反対され、父親の会社である出版社でデザイナーとしてキャリアをスタート。膨大な仕事量をこなしながら、絵本をサイドビジネスとしてコツコツ続けていた。このあたりは、自分が会社員しながらZINEを制作していることにも重なった。結局、父親の会社を退職して自立したのは48歳らしく、相当遅咲きであるが、会社員として鍛えられた結果、自分のスタイルを見つけることができたらしい。
ミッフィのビハインド・ザ・ストーリーについて、本人の口から聞けた点では貴重なインタビューである。普段読んでいる絵本の裏側を知る機会はなかなかなく、特に日本で出版された本書に収録されているエピソードとして、『ボリスとあおいかさ』が東京のホテル滞在中に、傘をさして風に煽られている人々を見て思いついた話は印象的だ。他にも『うさこちゃんのにゅういん』『うさこちゃん ひこうきにのる』の誕生エピソードが具体的に語られており興味深かった。
また、茶色のうさぎであるメラニーの誕生秘話も興味深かった。読み聞かせのために小学校に訪れると、肌の色が異なるさまざまな子どもがいることがきっかけだったらしく、そのアクチュアルな感性に驚きつつ、私自身は子どもが色で区別してしまう難しさに直面している。子どもに色で区別するこの是非について逐次説明しているのだが、果たしてどこまで伝わっているのか。
デザインの観点でいえば、シンプル・イズ・ベストだと信じてやまないスタンス。いかに削ぎ落として本質だけ抽出できるかに尽力していたか、インタビューから伝わってきた。他にもデザイン論についてはたくさん話していて、たとえば、ミッフィーの絵本が正方形なのは、子どもが持ちやすいようにしているとのこと。実際にうちにある絵本で、子どもが手に持って自ら読んでいるのはミッフィーの本が多いので、まさしくデザインの勝利だ。
使う色についてもブルーナ氏が厳密に決めていたことがよくわかる。しかし、日本で展開されるミッフィー関連商品の中には、その色味を無視したものも多く見受けられる。「権利を購入したのだから自由でいい」という発想は、ブルーナ氏、ひいてはミッフィーそのものへのリスペクトに欠けるのではないかと思ってしまった。
ミッフィーたちは体が横を向いていても、顔は正面を向いている。これは、子どもたちのまっすぐな目に応えようとブルーナ氏が思ったからとのことで、とにかく絵本を読む子どものことを何よりも大切に考えていることがわかるエピソードだ。絵本の世界の奥深さを堪能できる一冊だった。
子どもにとって絵本は世界を広げてくれるもの。絵を見たり読んだりして心に響くものがあるから、自由にイマジネーションをふくらませることができるし、その先にある何かに気づいたり、自分もやってみたい気分になったりするのです。子どものための絵本は、そういうことが大事なんです。