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1984年のUWF/柳澤健 |
先日読んだ『2000年の桜庭和志』の前日譚的位置付けとのことで読んだ。私は小学生からプロレスが好きで、父が録画していた新日本プロレスやノアを夢中で見ていた。当時、特に惹かれていたのは派手な技を繰り出すレスラーというより、西村修や鈴木みのる、ヤングライオン時代の柴田、後藤のような選手たちだった。黒いショートタイツに身を包み、ゴッチスタイルのクラシックなレスリングやハードな打撃で魅せる、いわゆる「ストロングスタイル」の象徴的なレスラーたちである。そんなスタイルが好きだったからこそ、やがて「強さ」を追い求める気持ちはプロレスを超え、総合格闘技(MMA)へと移っていき、今ではすっかりプロレスから離れてしまっている。
なぜこんな自分語りから始めたかといえば、本著はプロレスと格闘技の境目に関して書かれたドキュメンタリーだからだ。その象徴がUWFである。現在、三十代の私にとって、UWFは桃源郷のような存在だった。自分が好むスタイルが大きくフィーチャーされた団体があったなんて…となかば信じられない気持ちだった。ワールドプロレスリングで、UWFが取り上げられるのは過去の東京ドーム大会の新日本 vs UWFインターの対抗戦での武藤敬司 vs 高田延彦。武藤が高田を四の字固めで破ったあの試合だ。今でも覚えているほど象徴的なシーンなのだが、そこに本著のエッセンスがすべてつまっていて驚いた。
UWFといえば前田日明や高田延彦のイメージが強い。しかし本書は表紙にあるように、初代タイガーマスク=佐山聡にフォーカスしている。総合格闘技の雛形となった修斗の創始者でありながら、表舞台ではあまり語られることのなかった佐山が、いかにして「ガチ」へとシフトしていったのか。その過程が丁寧に描かれている。個人的には前半のプロレスキャリアが特に新鮮だった。初代タイガーマスクの映像は見たことがあったが、佐山が世界トップクラスの人気レスラーだったことは知らなかったし、帰国せず海外でプロレスラーとしてキャリアを積む未来もあったという。そこで登場するのがアントニオ猪木だ。著者の作品を読むたびに思うが、猪木は日本のプロレス・格闘技史の至るところで決定的な判断を下している。このケースでは「本格的な格闘技をやらせてやるから日本に帰ってこい」と佐山を説得したという。もしこの一言がなければ、今のMMAの歴史は違っていたかもしれない。歴史は本当に面白い。
前回の桜庭本のレビューでも書いたとおり、今やMMAの台頭により、プロレスが結末の決まった一種のショウであることは周知の事実となっているが、UWFの全盛期である1980〜90年代はその点があいまいだった。そして、そのあいまいさに寄りかかるようにUWFは「ガチ」を標榜して既存のプロレスと分岐する道を進んでいく過程が取材と共に描かれていて勉強になった。ガチが進んだ結果、新聞でもスポーツとして取り上げられるほどになったらしい。今では想像もできない世界である。
UWFは一次、二次、分裂期と各フェーズがあるのだが、そこで起こる人間ドラマが最大の魅力のように思う。「強さ」という同じ目標に向かっていると思いきや、各人の人間臭い思惑が交錯して、組織がどんどん良くない方向に転がっていく様は、客観的に見ていると超絶オモシロい。それは「リアル」をめぐる争いであり、ファンを含めて幻想を膨らませていく様子に既視感があるなと思ったら、ヒップホップの「リアル」論争と重なって見えた。それぞれの信念に基づき、自分なりの「本物」を追い求める。そのロマンこそ、私がプロレスや格闘技、そしてヒップホップに惹かれる理由なのかもしれない
そして、本著がスペシャルである点は、本著自体がUWFのレスラーおよびファンに対する一種の「プロレス」を仕掛けている構造にある。巻末で触れられているように、本著はレスラーやライター、ファンから多くの批判にを受けた。特に前田日明をはじめとする関係者への取材を行わずに書き上げたことは大きな論争を呼んだ。だが、まさにその挑発的な手法こそが、前田史観一色のUWF史に新しいアングルを持ち込み、UWF語りを再び熱くさせたと言える。これはヒップホップにおけるビーフそのもので、その点でもヒップホップとプロレスの親和性の高さを再認識した。前田日明相手に堂々と「喧嘩を売る」著者の胆力にはリスペクトしかない。事実をもとにどんなアングルを見せるか、それがオリジナリティだとすれば、著者は間違いなく稀代のドキュメンタリー作家であろう。
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