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| THE VIBES OF RIP SLYME vol.1/ゴウロクケンジロウ |
一年間の期間限定とはいえ、久々に五人で再始動したRIP SLYME。そんな復帰の話題で盛り上がるなか登場したのが、このRIP SLYMEのZINEだ。RIP SLYMEは、日本語ラップを好きになるきっかけとなったアーティストであり、多くのアラサー、アラフォーにとって特別な存在だろう。この復帰タイミングで、単純なファンジンの領域を大きく飛び越えた決定版ともいえるアーティスト本がリリースされたことに読み終えて感謝した。
本著はvol.1と銘打たれており、1994年〜2004年までのキャリアを総括する内容になっている。自分は「雑念エンターテイメント」のシングルから聞き始めたので、インディー時代の活動はほとんど知らなかったが、本著ではその点も徹底的に掘り下げられている。インターネットで容易に情報が拾えない時代の雑誌やラジオといった一次資料を丁寧に参照しており、著者の足で稼いだ情報から熱意が伝わってきた。
ジャーナリストよろしく、カジュアルな ファンにとっての空白の時間を埋めてくれている。メンバー各自のバックグラウンドや、加入するタイミングがこんなにバラバラだったなんて知らなかったし、当時のシーンにおける評価を知ることができる点が興味深い。90年代の日本語ラップが語られる際、彼らはほぼ抜け落ちる対象なので貴重である。特に宇多丸、Zeebra、Dev Largeらによる言及から、彼らのポジションが伝わってきた。Dev LargeがRIP SLYME を評価していた件として、ナイトフライトのコメントが参照されていたが、後年コンピレーションCDの『Mellow Madness』に「白日」が選曲されていたことも個人的には印象的な出来事であった。
本著の魅力は、前述したような「日本語ラップ」の切り口と「ラップ歌謡」の切り口の両面から紐解いている点が挙げられる。ラップ歌謡の切り口でいえば、当時のオリコンチャートの数字がとても興味深い。子どものころに理解できていなかった数字の意味がわかるので、いかに RIP SLYME がラップ歌謡でJポップフィールドをサバイブしていたか、よく理解できた。今では武道館公演を行う日本語ラップのアーティストはたくさんいるが、彼らは全盛期、一年に五回も武道館でライブをやっていたことがあったり、さらには五万人スケールのライブまでも行っており、今の日本語ラップバブルのスケールと比較しても、稀有なアーティストであることが数字から明らかにされていた。
楽曲分析もかなり丁寧に行われており、サウンドとリリック双方から分析されている。現在の日本語ラップに関する批評および語りは、どちらか片方に偏っているケースが多いわけだが、本著ではシングルCDが売れていた背景もあり、一曲一曲の重みが大きかった時代ゆえの情報が整理されていた。なんならCDジャケットのデザインまで深掘りしていて驚いた。近年、プレイヤーサイドからの情報開示が進んでいる点も大きく、特にRYO-Z、FUMIYAを中心に昔語りが進んだことで本著の情報量は肉厚になっている。元の動画を見ればいいのだろうが、こうやって体系的に整理してもらうことで全体像が理解しやすくなっており、素晴らしい仕事だ。
逆説的で申し訳ないのだが、こうした分析から自分がRIP SLYMEを当時そこまで好きになれなかった理由も見えてきた。それはビートのBPMとジャンル性である。RIP SLYME はとにかく速いBPMと、非ヒップホップ的な音色の数々が特徴的だった。日本のマーケットはBPM が早くなければ人気がでない兆候は現在も続いているが、それに応じた采配だったのだろう。(Creepy Nutsもその呪いの下にいると言える。)また、『MASTERPIECE』におけるビートルズオマージュもヒップホップとは別のベクトルであり、マス受けを目指していたことがよくわかる分析で大変興味深かった。今、各アルバムを聞き返してみると、自分が好きなテイストの曲はたくさんあるわけだが、当時の私は、キングギドラ「公開処刑」の影響もあり、よりドープなもの、BPMが遅いものを追い求めていたがゆえに好きになれなかったのだなと改めて納得した。
全体的にはジャーナリスティックな筆致だが、たまに垣間見える著者のRIP SLYMEに対する思いや当時の思い出が、本著をスペシャルなものにしている。これこそファンジンの魅力であり、出版社やアーティスト自身によるムック本とは異なる点だ。なかでも『TOKYO CLASSIC』を聞くシーンは全く同じ経験があったかと錯覚してしまうほど具体的な描写に相当グッときた。
インターネット以後は追体験しやすい環境が整い、当時の状況を知らない世代が、主観的視点で書いたり、語っている場面を見かけることがある。しかし、著者は自身とRIP SLYMEの距離をしっかりと設定していて、主観と客観を明確にしてくれているので、その点もヒップホップ的に「リアル」だと感じた。
RIP SLYMEとポリコレの関係も、当人たちは触れにくいことなので、ファンジンならではといえる。SMAPとの対比で描いていく展開が見事だった。具体的なことでいえば、t.A.T.uのMステ事件にRIP SLYMEが間接的に関与していたなんて知らなかった。ただ、その延長線で考えると、直近のMAGAオマージュ騒動が腑に落ちた。90年代サブカルに代表される露悪的ユーモアは軒並みキャンセルされている現代において、彼らのイタズラ心はそのポピュラリティに反比例するように理解されにくい。ラッパーである以上、もっとリリカルな形で表現として昇華すれば、それはアートとして受け止められるのではないかと感じた。
今回の復帰前のRIP SLYMEに対するイメージは、地に落ちていたと言っても過言ではない。著者はその汚名を返上するべく、彼らが成し遂げた仕事の偉大さを体系的にアーカイブする気持ちで書き始めたそうだ。そして、このタイミングでRIP SLYMEが奇跡の復活を成し遂げたのは、著者の他の追随を許さないハードワークに対する神の恵みのようだ。Vol.2も首を長くして待ちたい。

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