2020年1月28日火曜日

燃え上がる緑の木

「救い主」が殴られるまで
 
第一部
 四国のある村で立ち上がっていく新興宗教の話。独特の英語表記、鉤括弧を使わない会話表現など文体として取っつきにくい部分はあるものの、ストーリーの駆動力が強くグイグイ読めた。日本は宗教の概念が希薄なので信仰する気持ちを理解しにくいと思う。その中で、この小説は信仰の発生/終焉/再生を描いており興味深かった。
 まだ残り2巻もあるので総論的なことは言えないにしても一番オモシロかったのは「一瞬よりはいくらか長く続く間」というフレーズに基づいた説法。宇宙の時間スケールで見て自分の人生を相対化する。死んだ後に流れる時間と死ぬ前に流れた時間は等価ではないか。詭弁のようにも思えるけど、こうやって人間は実態のないものに振り回されながら生きていくしかない。
 スピリチュアルな要素は少ないにも関わらず、徐々に大きな意思の存在が確からしいものになるのが著者の筆力なんだろうか。それぞれ役割を持ってそうな職業/特徴の人々が信じることで始まろうとするボトムアップ型の宗教。教祖の施しと人智を超えたものがすれ違う偶然の交差点、それが宗教/信仰の震源地であることがよく理解できた。

揺れ動く(ヴァシレーション)

第二部
 治癒能力の欠如でインチキ扱いされたところから再興する新興宗教の話。文体の独特さは慣れるとクセになる感じで読みにくさも全くないし、それよりも物語がグイグイとドライブしていくところに惹きつけられた。
 とくに教祖であるギー兄さんの父親である死期間近な総領事、ギー兄さんの糺弾者だったものの、心を変えて信仰し始めた亀井。この2人のおじさんの立ち振る舞いがオモシロい。それは2人が宗教に対して懐疑的なスタンスから、どっぷりハマるところまで駆け抜けて行くから。
日本人の宗教との距離感を前提にしているので、これなら信仰するかもしれないという納得できる雰囲気があるからこそ説得力があった。お祈りのことを「集中」と呼び、偶像崇拝ではなく祈りの言葉がなかったり。
 そこそこfeelするなーと思ったところで、ある人から指摘される中心の空洞、究極的な責任者の不在=天皇制だよねという議論が展開。社会において、いつも責任者が不在となるのは、天皇制に端を発するとも読みとれるような内容でスリリング。そもそも神様って必要なんだっけ、勝手に出てくるだろ、わざわざ空洞を埋めなくていい。というのも日本ぽい。
 アイルランドの詩人イェーツを多く引用し、彼の言葉が思想のベースになっていく過程がオモシロかった。とくにサブタイトルにもなっている” vacillation ”2つの極値を揺れ動いて生きていくのが人生、という解釈のあたりはグレイが許されない白黒社会を生き抜いていく上では役に立つ思想なのかもしれない。揺れているからこそ人間だ。

大いなる日に

第三部
 新興宗教が最大まで膨張した結果、そこから萎んでいく過程を描いた3冊目。前半は物語の語り手である両性具有のサッチャンが記録者としての客観的立場ではなくなっている。自分が特別な存在だと思っていたのに、それが裏切られた結果、存在価値を追い求めて、ひたすら自暴自棄に生きていく姿が読んでいて痛々しかった。その中でギー兄さんが両膝を潰されてしまう事件が発生。ますます「救い主」として神格化は進み、組織が大きくなる一方で、教団間での軋轢や教団の対外的なポジションの難しさなど課題が山積していく。それらに対する各自の所感、対処方法がドラマになっていて、お決まりの過激派と穏健派の覇権争いがオモシロかった。
 ギー兄さんは特に自分の意志とは関係なく教会の中心に据えられて、皆の崇拝の対象となる人生を余儀なくされる。自分のコントロールが効かないまま流されていくしかない人生は虚しいものなのかもしれない。喜んで世襲に乗っかる人もたくさんいるけれど、たとえば天皇制は?という疑問も沸く。大きな意思を大事にしすぎてもしょうがないという著者の思いを感じた。
 原発が1つのテーマとして大きくフィーチャー、当時から明確にNOを示していて、311以降の今読むと小説とはいえ大江健三郎の言葉としてグサグサ刺さる。今生きている我々は次の世代に渡すバトンをあくまで持っているだけ、と言われると環境問題などのタイムスケールの大きいことも身近に考えられる気がする。先ほどの大きな意思がここでは重要視されている。特定の対象を偶像崇拝せずに世界全体の未来を考えて行動することを信仰と呼ぶのなら、信仰することも悪くないのかもしれない。
 あとがきにも書かれているとおり、身もふたもない言い方すれば本作は新興宗教の栄枯盛衰物語だけれどそんな矮小化されたものではない。仏教ベース/ほぼ無宗教に日本において祈ることの意味がどこにあるのか、そもそも何に対して祈るのか?を問うてくる小説。最後に本読みとして刺さったパンチラインを引用しておく。

本に出会うことの幸不幸ということを話しておきたいんだ。運と不運といった方がさらに正しいかもしれない。本にジャストミートするかたちで出会うことは、読む当人がなしとげる仕業というほかないんだね。選び方もあるし、時期もある。たまたま貰った本にジャストミートすることもあるし、自分が買って来た本で書棚にしまっておいたのが、ある日、ということもある。

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