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| 調査する人生/岸政彦 |
社会学者である著者と、同じく社会学を専門とする研究者たちとの対談集ということで読んだ。データから傾向を見出し、圧縮、抽出することが価値とされがちな現代において、著者が「再現不能な、一回性の科学」と呼ぶ社会学の一側面の奥深さを知るには、まさにうってつけの一冊だった。
本著は著者と六人の社会学者との対談集。著者が聞き手となり、各人のこれまでの調査や活動をたどりながら、その中で社会学のあり方そのものが語られている。社会学がここまで広く認知されるようになった背景には、間違いなく著者の功績がある。そのフロントランナーが、他の社会学者たちと向き合い、彼らの調査対象やスタンスを当人の言葉で引き出していくため、議論は自然と頭に入ってくる。すでに読んだことのある研究者については理解が深まり、未読の著作については今すぐ手に取りたくなる。特に石岡氏の『ローカルボクサーと貧困世界』は格闘技好きとして絶対に読みたい一冊だ。
議論の中心となるのは、社会学における質的調査である。量的調査がデータから確からしさを抽出するアプローチだとすれば、それはデータ社会である現代の価値観と親和性が高い。一方で、数を稼げない質的調査をどのように行い、その結果をどう解釈するのか。本書では、沖縄の若者、部落差別、女性ホームレス、フィリピンのボクサー、在日韓国人など、対象は千差万別でありながら、それぞれが自分なりのスタイルで対象との距離を模索している様子が浮かび上がる。
質的調査と一口にいっても、著者のようにワンショットサーベイで強い関係性を結ばないスタイルに対して、参与観察で特定の対象と距離を縮めながら、話を聞いていくスタイルでは考え方が異なる。その差分が繰り返し言語化されることで理解が深まっていく。なかでも、著者が沖縄で出会ったおじいさんのエピソードを通じて語られる「他者の合理性」は、人の一側面だけを見て安易に判断してしまいがちな現代において、強く考えさせられるテーマだった。
タイトルにもある「人生」というのは、本著を貫く重要なテーマである。インタビューにおいて、研究に必要な情報だけを切り取るのではなく、より広い領域で話を聞くことで、想定外の枝葉から多層的で豊かな語りが立ち上がる。この感覚は、自分で『IN OUR LIFE』と名づけたポッドキャスト番組を運営していることもあり、実感を伴って理解できた。7年前にポッドキャストを始めたのは、SNSの窮屈さが最大の理由だったが、大事にしていたのは特定のテーマになるべく収束させず、話者同士の関心に委ねて会話を広げていくことだった。非圧縮でだらだらと話す中で話題は発散していくが、それこそが「人生」なのだと思っている。本著の言葉を借りれば、我々は「重層的な生」を営んでいるのだ。
事実関係とディテールの違いについての議論も印象的だった。事実偏重の態度では、その場のやり取りだけがすべてだと誤解されがちだが、語りを文字に起こし、理論を重ねることで、出来事はより立体的に、伝わる形になる。理論だけでは手詰まりになり、現場だけでは一過性の話にとどまる。そのバランスを取ることで真理に近づこうとする営みこそが学問だ。
打越氏、上間氏、朴氏の著作は読んでいたため、その前提を踏まえて読むことで各人の社会学に対するスタンスや対象との距離感を知ることができた。とくに沖縄を調査対象とする著者、打越氏、上間氏の議論では、沖縄特有の空気や風習が深く掘り下げられ、それぞれの著作の「ビハインド・ザ・ストーリー」を覗くような感覚があった。単なる読み物ではなく、学問なのだという当たり前の事実にここでも気付かされた。
一方で朴氏とは他のメンバーとくらべて議論が平行線を辿る場面があり、興味深かった。「わかる」ということへの認識の違い、エモーショナルになることへの慎重な姿勢。感情に流されてしまいがちな自分にとって、ここまで整然とした態度は簡単に真似できるものではないと感じた。本著を読むと『ヘルシンキ 生活の練習』シリーズで著者が淡々とした描写に徹している理由もよくわかった。
普遍的にいえば「人に話を聞くこと」が本著のテーマであり、その行為について対話するという構成はメタ的と言える。相手の話を受けて、自分の見解を足して返していくスタイルで、これだけ議論をスイングさせられるのは著者の力量に他ならない。十年ほど前、サイン会でほんの一瞬言葉を交わしたことがある。短い時間にもかかわらず、緊張するこちらの話を引き出し、そこから会話を膨らませてくれた。そんな記憶が、本書を読みながら蘇ったのであった。

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