2024年6月26日水曜日

推し、燃ゆ

推し、燃ゆ/宇佐見りん

 今更ながら読んだ。時代の空気を目一杯吸い込みながら文学という形で昇華されていてめちゃくちゃオモシロかった。推し、炎上は2020年代のキーワードであり、その二つが接続して推しに対してあふれる複雑な感情が爆発、推すという概念の理解の端緒となる一冊だった。

 主人公は女子高生でアイドルグループの男性を推すことに夢中になっていて、彼女の推しライフを学生生活をまじえて描いている。*推しが燃えた。*この一文目で勝負ありだったと読み終えた今では思う。川端康成『雪国』の冒頭とかそれに類するすべてを予感させるような2020年代最強のファーストセンテンスであり、出落ちではなく呼応するように強い念がこめられたようなセンテンスがこれでもかと詰め込まれているのだからたまらない。

 推している=ファンである、くらいの軽い認識しかなかったが、本著を読むとその認識が更新された。従来のアイドルファン、オタクは言うなれば赤い炎のようなもので界隈で形成されたムードを身にまとい振る舞いも似通った派手なイメージ。オタ芸とか最たるもの。しかし推すことは青い炎として静的でありながら、しかしその熱量は赤い炎よりも何倍もアツいし推しに対する愛情の表現も多様になっている。対象と近づきたい、恋仲になれるものならなりたい。そういった考えの人もいるだろうし実際に主人公の友人は整形して推しの存在と近づくケースが描かれている。しかし主人公は一定の距離を取ることにこだわっている。ここに今の推しカルチャーのノリを垣間見た。推すことは一方通行の愛に他ならないのだが、推すことの尊さを喝破するラインがかっこいい。

あたしが何かをすることで関係性が壊れることもない、一定の隔たりのある場所で誰かの存在を感じ続けられることが、安らぎを与えてくれるということがあるように思う。何より、推しを推すとき、あたしというすべてを懸けてのめり込むとき、一方的ではあるけれどあたしはいつになく満ち足りている。

 文字どおり推しは燃えて終盤にはある意味で真っ白な灰へと化していく訳だが、主人公が想像以上に大きく引っ張られて暗い展開になることに驚いた。アイドルを推すことをテーマにしてるので、なんとなくコメディもしくは感動方向で引っ張るかと思いきや裏切られることで物語にのめり込んだ。燃えていくのに比例して主人公も閉塞感に苛まれていくし、特に家族からも距離を置かれる描写もあいまって孤独が際立っていた。大人の世界では多様性が喧伝されている中で、皆と同じようにできないことで社会から取りこぼされる若者を真正面から描いており建前社会の歪さが表現されていた。

 その表現力がズバ抜けてかっこいいからこそ芥川賞を受賞しているわけだが、渋谷の街とスマホの画面を浮遊するように行き来する視点の移動は個人的に超新鮮で読んだときに思わず声が出た。分かりやすいものでいえば祖母の突然の死を大袋の中に入った個舗装のチョコに例えるラインも相当鋭い。まさに新世代の作家という感じで今後も楽しみだし別の作品も早々に読みたい。

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