2024年2月23日金曜日

デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場

デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場/河野啓

 奇奇怪怪で激賞されていたので読んでみた。栗城氏は情熱大陸の出演が印象的で、エベレストの登頂を手持ちカメラで撮った映像で魅了された記憶がある。そんな彼がどういった登山家でどのようにして命を失うまでに至ったかを丁寧な取材とともに記述した一級品のドキュメンタリーでとても興味深かった。

 登山家と聞くと寡黙に山に挑むようなイメージを勝手に抱いてしまうが、彼はそれとは真逆のスタイルだ。いかにマス受けするか考えて山を登ることを「夢の共有」と呼び、彼のファンダムを形成、スポンサーを獲得していくスタイルで人気を獲得していく。マーケティング戦略としては何も間違ったことはしてないのだけども、その大前提としては山登りに対して真摯な姿勢でいなければならないのに、その点を浅く見積もったことで彼は後年苦しむことになってしまった。見た目だけ繕って中身ボロボロといったことは政治を含め、ここ数年あらゆる場面で見られる事象であり、本当に気をつけてないと自分も当事者になってしまう恐怖を感じた。

 そして普遍的なテーマとして承認欲求をめぐる話といえる。登山家として認められたい、その動機自体は自然なことではある。しかし、彼の場合は目先の派手なことばかり追いかけてしまい、承認欲求をかっこよく、インスタントに満たそうとしたことにより無理が出たことがよく理解できた。なかでも強烈なのは指と酸素の話だろう。表面上は「夢をあきらめるな、必ず叶う」みたいな美辞麗句を並べておいて、裏では全くそれに見合わないダーティーワークを重ねているのだから目も当てられない。本著では「その姿勢をいかがなものか?」と糾弾するだけではないところが興味深かった。彼自身だけの責任ではなく、自らを含めたマスコミやそれを支持した大衆の責任についても考えさせてくる。SNS駆動である今の社会に生きる身に深く沁み入った。

 さらに本著の興味深いところは栗城氏側だけではなく著者の取材者としての承認欲求についても自戒的な点だ。著者が彼についてブログを書き始めてビュー数がどんどん伸びていき、インターネットに魅了されかかるシーンは生々しい。また取材者としてドキュメンタリーを作る際に自戒するきっかけとなったのがヤンキー先生こと義家氏だというのは驚いた。著者が取材したときのアツい思いを持った先生とは真逆になってしまった話はよくできた寓話そのもの。

 自戒的な姿勢が多く見られること、丁寧な取材を重ねていることで、死人に口なしで一方的に書いた結構エグめの内容(婚姻関係など)も下世話な印象を最小限に抑えることができていた。結果的に著者がブログを削除、ちゃんと取材をして本著を書き上げたことは今となってはとても重要なことかもしれない。それはネットに漂う文章ではなくフィックスされた文章の意味が過去とは大きく異なる時代だからこそ。Rawなものは即時性が高く魅力的に映るが、山を登るように一歩一歩地道に作り上げたものには勝てないと信じている。本著を読んで山登りに興味が湧いたので他の作品も色々読んでみたい。(自分では登れなさそうなので)

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