2015年11月30日月曜日

さようなら



年末にかけて色々公開が控えていますが、
ほとりの朔子の深田監督最新作
という情報を聞きつけて見てきました。
原作は平田オリザ氏と
アンドロイド研究の第一人者である
石黒教授との阪大タッグによる演劇で、
映画にもアンドロイドが役者として出ています。
静かな優しさと狂気が同居している印象で、
固定長回しワンショットによる絵画のようなショットは
ほとりの朔子でも見られましたが更に先鋭化しています。
またメインテーマがタイムリーな難民の話。
差別/被差別(被害/加害)の構図が
縦横無尽に張り巡らされており、
観客がどこの国の誰であろうとも
自分の身の振り方を考えさせざるを得ない。
さらにアンドロイドを使うことで
文明論にまでリーチしていて興味深かったです。
お話としては日本全国の原発が爆発し、
もう日本に住めなくなり日本人が難民となってしまい、
その中で様々な立場の人間が
避難しようとするものの…というもの。
主人公はターニャという南アフリカ出身の外国人。
かつては南アフリカの難民だった彼女は
原発事故後の日本でアンドロイドと共に暮らしています。
原発事故の様子とそれを伝えるニュースが映り、
本作の象徴となる主人公のソファの
ワンショットから映画は動き出していきます。
これがすべての始まりで終わりでもあることが
見終わってから分かりグッときました。
どういった状況なのかは細かい説明はないものの、
主人公と彼女の友人との会話で理解できる作りはナイス。
難民と化した日本人は国外に避難するため、
避難番号を割り振られ、その順番を待っている。
番号で選別される対象となった日本人は
選ばれる順番が自分たちの出自や過去によって
決まるのではと疑心暗鬼の状態。
この疑心暗鬼こそが差別や戦争を
引き起こすトリガーであることが
本作を見るとよく分かります。
ただし劇中では露骨な差別や戦争は見せずに、
そういった話題になったときの
微妙な感情変化の描写のみで、
基本的には恐ろしいほど静かな時間が流れている。
今となってはヘイトスピーチやネットで
差別の言動が露骨に目につきますが、
何気ない会話の中で、
ふっと差別意識が出てきて微妙な空気になるときが
結構あるよなーと思ったりしました。
差別する人も被差別の対象になるし、
被差別の人も差別することがあるんだという、
フラットな立場に好感を持ちました。
これがもっとも象徴的なのは、
ターニャと新井博文演じる彼氏の関係ですが、
だから差別してもしょうがないって
言っている訳じゃなくて、
人のフリみて我がフリ直せるのは人間だけですよ。ということ。
放射能で汚染され逃げるしかない状況の中で、
形骸化する「結婚」というシステムの描き方も
そこに意味を見つける人/見つけない人という
描き方がオモシロくて好きでした。
あとはターニャの友人の女性の過去には
心底ビックリしました。
あの過去があることで、
「絶対差別なんてしません!」
と真顔で言い切る人の喉元に刃を突きつけているような…
また前述したとおりアンドロイドが出てくるんですが、
牧歌的な情景とアンドロイドの取り合わせが
本当に近い未来を想起させてくれる効果がありました。
ソーラーバッテリーを持ち、
半永久に生きることができるアンドロイドがいることで、
生きること、死ぬことがとても際立ちます。
その最たる例がラスト間際の衝撃の時間経過描写。
そしてラストのアンドロイドと、
威風堂々と言いたくなる自然の雄大さの対比に
生きねば。と感じました。
こんな未来は来て欲しくないけれど、
本作を見て今の状況を考える必要もあると思いますので、
興味ある人は見て欲しいです。

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