ガチョウの本/イーユン・リー |
イーユン・リーの最新作。新刊が出れば必ず読んでいる数少ない作家の一人だが、今回も期待どおりの内容でオモシロかった。もともとストーリーテラーとして比類なき才能の持ち主であることは間違いないが、前作を含めて新たなチャプターに突入しており、その新鮮さを大いに楽しんだ。
フランス人でアメリカに移住した女性アニエスが、ある日、同級生のファビエンヌが出産で亡くなった知らせを受ける。そこから回想する形で物語は進んでいく。当時十代の二人が共作した小説が人気を博し、アニエスだけがフランスからイギリスへ移住、フィニッシングスクールで学び始めるものの…というのが話の大筋。著者は中国からアメリカへの移民であり、中国を背景にした物語が多かった中で、前作から自身のバックグラウンドとは全く関係ない物語を紡いでスタイルチェンジを図っている。そのことで逆説的に彼女の小説の表層の部分ではない奥行に気付かされた。経験していないことを想像して描き出せることが小説の醍醐味であるが、リアリティ偏重な今こそ、想像の世界で好き勝手に書くことができるダイナミックさを存分に味わえた。
本作の魅力はなんと言っても、主人公二人の関係性だろう。十代前半ならではの時間だけが無限にある退屈な日々の中で、何をもって人生に彩りを与えていくのか。それが彼女たちにとっては空想の物語を描いていくことであり、想像しない形でスケールし、見たことのない景色をアニエスにもたらすことになる。十代前半の頃の友人関係は往々にして希薄になりがちだが、主人公たちにとってもそれは例外ではない。読んでいると自分にとってのファビエンヌ、つまり親友であり、憧憬していた存在について想いを巡らせざるを得ない。あの頃の自分が誰と一緒にいたのか、何を大切にしていたのか。
基本的にはアニエスがファビエンヌを追いかけるような関係性なのだが、最後まで読むとある種の共依存であることがわかり、その終焉まで見届けることになるがゆえに切ない。オレンジ、ナイフなどを使ったアナロジーも巧みで、その耽美さにため息が出た。
著者の小説で人生を巡るパンチラインがはそこかしこに仕込まれている点がストロングポイントであり、本著でもいかんなく発揮されていた。こんなに付箋だらけになる小説もそうそうない。
人々はだいたい忌まわしかったり退屈だったりする。両方であることもある。世の中もそうだ。もし世の中が忌まわしくも退屈でもなかったら、伝説などいらないだろう。
幸せっていうのはね、首を伸ばして明日や翌月や翌年を楽しみに待つことなく、一日一日が昨日になるのを押しとどめようと手を出すこともせずに、毎日を過ごすこと。
物語が俄然オモシロくなるのは後半のフィニッシングスクールに入学してからだ。「花嫁修行」的な作法の数々を学びながら、小説を書く生活をアニエスが強いられるのだが、この前時代的な状況から飛び出すところが最大の見どころ。しきたりを学び、守ることで個性を失い、自分のために生きている実感が失われていく。それは小説も同様でアニエスの書いた内容が、大人によって加筆、修正されてしまう。このように自分がどんどん剥ぎ取られて、世間に迎合していくことに対して、物語全体を通じて疑問を呈している。「右にならえ」が苦痛で生きてきた人生なので、この主張は至極納得しつつ、結果的に苦しむアニエスの姿は辛かった。学校は、世間、社会に出ていくにあたって「成形」する場所であり、一定必要なのは理解している。ただ、それが過剰になってイエスマンの金太郎飴がたくさんできたところで一体誰が幸せになるのだろうか?とたびたび考えるので、アニエスが抱える苦労や不満がよく理解できた。特に大人の恩着せがましい「親切」という化けの皮を被った命令のリアリティが迫ってくるシーンでは手に汗を握った。自分にとって特別な作家であることに変わりはなく、次の短編小説の邦訳を楽しみに待ちたい。
0 件のコメント:
コメントを投稿