2017年4月1日土曜日

ジャッキー/ファーストレディ 最後の使命



<あらすじ>
1963年11月22日、テキサス州ダラスを訪れた
ケネディ大統領が、オープンカーでのパレード中に
何者かに射撃され命を落とした。
目の前で夫を殺害された妻ジャクリーンは
悲しむ間も与えられず、葬儀の取り仕切りや
代わりに昇格する副大統領の大統領就任式への出席、
ホワイトハウスからの退去など様々な対応に追われることに。
その一方で事件直後から夫が「過去の人」として扱われることに
憤りを感じた彼女は、夫が築き上げたものを
単なる過去にはさせないという決意を胸に、
ファーストレディとして最後の使命を果たそうとする。
映画.comより)

アカデミー3部門ノミネートで注目されるも、
無冠に終わってしまった本作。
粋な夜電波で菊地さんがプッシュしていましたし、
監督のパブロ・ララインの前作であるNOが好きだったので、
公開初日に見てきました。
あらすじを見ると高尚な話に見えますが、
ジャッキーの野心も結構露骨に見える大胆な作品。
我が国の現在のファーストレディである、
アッキーにもぜひとも見ていただいて、
このぐらい強かに立ち回って欲しいです。

※ここから盛大にネタバレして書きます。

本作はアカデミーで作曲賞にノミネートされているんですが、
それも納得のオープニングシーン。
真っ暗な中で不穏なストリングスの音が鳴り響く。
このサウンドが本作のキーとなっていて、
ここぞというシーンで繰り返し流れていました。
映画の構成としては、
ケネディ暗殺後の記者からのインタビューと、
亡くなってから葬式に至るまでが交互に描かれる形。
暗殺シーンは終盤にちょろっと見せるだけで、
基本的にケネディが亡くなったあとの、
ジャッキーの様子を描くという、
普通に考えるとギャンブリングな内容だと思います。
なぜなら然るべきことが然るべき手順で
手続きされて処理されていくことになり、
映画としてドラマが作りにくいから。
そこを打破するのが前作のNOで見られた、
映像の質感のGAPを使ったラライン監督の演出でした。
ジャッキーはホワイトハウスの紹介VTRを
作っていて本作中でも流れるんですが、
当時の映像??と思わされる作りになっていて驚き。
そこにいるのはナタリー・ポートマンなので、
当時の映像という訳ではないんですが、
平坦になりがちな物語に映像で起伏を付けていくことで、
飽きずに見ることができました。
また、ラライン監督が本作に起用されたのは、
こういった映像を使った演出に加えて、
本作のテーマであるメディアを使った歴史の作り方は
モロにNOと重なる部分があるからだと思います。
NOではチリの民主化運動を広告の手法で
先導した人の話だった訳ですが、
本作でもジャッキーは強かにメディアを活用して、
夫の死をメモリアルに演出しようとします。
僕は学生の頃に知ったケネディのことといえば、
暗殺されたこととキューバ危機を避けた人ということ。
ケネディ暗殺は他にも色んなファクターがあって、
歴史に名を残す大事件となっています。
しかし、劇中でも言及されていますが、
暗殺されて亡くなったアメリカ大統領は他にもいて、
その名前を僕は知らなかったので、
ジャッキーの策略通りということなのか?
と思ったりしました。
(アメリカ人が考えるケネディ像と
日本人が考えるケネディ像にはGAPがあると思いますが…)
歴史に名を残す!という大義名分を掲げつつも、
ジャッキー自身の虚栄心が見え隠れする点も
本作が正直なところだと思います。
大統領である夫という最強の後ろ盾を失った彼女が、
子ども2人とどうやって生きていくべきなのか、
ここも強かに計算している様子が描かれています。
ただ打算的という訳でもなく、
夫を失った悲しみ、さらには彼との間に設け、
死別してしまった2人の子どものことまで思い出し、
不安定な部分も見え隠れします。
この微妙な心情の変化が繰り返されるジャッキーを
演じるナタリー・ポートマンがとにかく抜群。
とくにホワイトハウスに帰ってきて、
着替えてシャワー浴びるシーンが圧巻だったなぁ。
終盤にかけて彼女のクローズアップが多くなる中でも、
ぶれない私!という顔力が良かったです。
(グレタ・ガーウィグの無駄使いは気になったけど)
渋い味付けがジワジワ沁みてくる映画。

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