2014年11月10日月曜日

嗤う分身



ジェシー・アイゼンバーグ主演で、
ドフトエスキー原作がベースということで見てきました。
ダークな世界観が強い中でidentityがどういった形で、
定義されているのか?という哲学的な問いおよび、
自分で行動を起こすことの必要性や大切さを描いた、
素晴らしい映画でございました。
監督はリチャード・アイオアディという人で、
もとはロックバンドのMVを多数手がけており、
映画は2作目とのこと。(前作サブマリンが超見たい)
美術、衣装が無機質でダークなものに統一されていて、
テリー・ギリアムの未来世紀ブラジルを思い出したりしました。
identityの定義を揺さぶるディストピア物語。

ジェシー・アイゼンバーグ演じる、
主人公のサイモン・ジェームスは封建的な会社で働く、
どこにでもいそうなボヤーッとしたサラリーマン。
ある日、会社に行くと誰も自分のことを知らなくて、
赤の他人として扱われてしまう。
会社の同僚に恋しているんですが、
その同僚の向いに住み、ヒッチコックの裏窓ばりに、
彼女の生活を覗き見するだけで、
具体的なモーションをかける訳でもない。
なんとか自分の存在を取り戻そうと画策する中で、
ジェームス・サイモンという顔がそっくりの男が、
新入社員としてやってきて…というお話。
ドッペルゲンガーものといえば、
今年公開の複製された男という素晴らしい作品がありましたが、
寓話的なオモシロさでは近いかもしれません。
ドッペルものは最初の設定でオモシロさが決まるなーと
2作見て思いました。
ドフトエスキーの分身が原作で、
すでにベルナルド・ベルトルッチ監督の手で映画化済み。
それが1968年のことなんですが、
2014年現在のVFX技術を駆使した分身演出は、
日常ではあり得ない瞬間を見せてくれる意味で素晴らしい。
ジェシー・アイゼンバーグは当然1人2役なんですが、
目つきや物腰の違いで演じ分けているのはさすがだなぁ。
サイモンという男はボンクラ感満載で、
何やってもうまくいかない感じが笑えるし、少しイライラもする。
ドッペルゲンガーであるジェームスが、
「なりたい自分」として出現するのが辛い設定。
ジェームスに成果を横取りされてサイモンはカス扱い。
仕事はまだマシで女性関係が辛くて、
顔は同じだから見た目が原因という逃げが通用しない。
見た目の要素を排除してダメだということは、
中身がダメだという尊厳を踏みにじられること。
当然好きな女の子もジェームスに横取りされてしまう。
escapeできない閉塞したuncontrolな世界で
もがく姿は共感しました。原作未読なので、
どこまでベースにしているか分からないけど、
ドフトエスキーの先を見通す力が凄まじいのか、
人間は本質的に何ら変わっていないのか。
そもそも自分であることを証明するのって、
非常に難しくて、あくまで他者や社会があって初めて、
自分の存在が定義付けされるという、
日々生きていて絶対考えないことを考えさせられました。
閉塞さを感じさせる方法として、
前述したとおり、舞台設定が特殊でとにかく陰鬱。
常に室内か、夜しか描かれなくて、
光の使い方が意図的なんだろうなーという印象を受けました。
会社も大佐という人を中心とした封建社会で、
時代設定や舞台設定が一切分からない。
どこか分からない=どこにでもある、
という二面性ってことなかなーと思ったり。
音楽も特徴的で坂本九、ブルーコメッツの昭和歌謡が
劇中で象徴的に使用されてたり、エンディングは韓国の曲。
すげーイビツなんだけど、超かっこいい。という絶妙なバランス。
ずっとドッペルのジェームスに舐められてきたサイモンが、
能動的に逆襲の行動を取る訳ですが、kill myself steeloで、
見ながら「あぁ…」と言いたくなるぐらい哀しい。
映画の冒頭と繋がる円環構造なんですが、
本来の自分をget backしたと言えるのか…
ラストにかけては人によって解釈は分かれるかも。
ドフトエスキーの原作を読んでみたいと思います。

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