2024年2月10日土曜日

記憶する体

記憶する体/伊藤亜紗

 とてもオモシロかったサイボーグになるという本の中で繰り返し引用されていた本著を読んだ。完全に読む順番を間違えており本著を先に読んだほうが『サイボーグになる』はより解像度が上がったと思う。そのくらい健常者が勝手に抱いている障害者のイメージと現実との乖離を一から丁寧に解説してくれており目から鱗な話の連発で興味深かった。こんだけ優しい語り口かつ理路整然としている文体がかなり好きだった。

 著者が障害を持つ方にインタビューした内容を踏まえて当事者の障害について解説、論考する構成で11個のエピソードが収録されている。具体例からブレイクダウンしてくれるので話が理解しやすい構成だった。

 タイトルにある「記憶」を軸に健常者側の偏見を裏切るような人選(たとえば全盲だけどメモを取る人、義手の必要性を感じていない人など)がなされており興味深かった。記憶の観点でいうと先天的もしくは後天的に障害を持つかで状況は大きく変わる。なぜなら最初から無かったパターンと元からあったものを失うパターンに分かれるから。状態は同じでもプロセスが違うこと、つまり記憶のある/なしで障害の認知が変化するということに改めて気付かされた。

 また人間の体の仕組みがいかに複雑なのかもよく分かる。見ているものがすべてではなく、認知と現実のギャップが存在し、それを補填したり、もしくは間違えたりする要因の一つが記憶であり、それとどのように付き合うか。幻肢が痛む話はその最たる例で本著内で大きくフォーカスされている。そこにない足が痛むという事態をなかなか想像しづらいが本著の具体事例の数々でイメージが少し湧くようになった。

 障害者の方たちが日々自分の体と向き合って、どうすれば最適化できるのかを考えている。分かりやすかったのは健常者の場合はすべての動作が基本的にオートマティックだが、障害者の方は各動作がマニュアルであるがゆえに大変ということ。しかし、そこには工夫の余地が残されており、ゆえにテクノロジーが介入している現状となっている。3Dプリンターの活用にはかなり未来を感じた。『サイボーグになる』で議論されていたように当事者の意見が反映された補填具が開発されていって欲しい。

 健常者だからといって障害を他人事と思えないのは最後に収録されている若年性アルツハイマーのエピソードがあるから。当然、事故で視力や聴力、手や足を失う可能性はゼロではないもののアルツハイマーは自分ごとになるかもしれないリアリティがあった。このエピソードは他と毛色が異なる内容でかなり興味深かった。端的にいうとアルツハイマーで忘れてしまうことを逆手に取ったクリエイティビティの発揮だろうか。日記と小説の狭間にある記憶と忘却みたいな深いテーマがゴロッと放り込まれてた。『どもる体』も早々に読みたい。

2024年2月9日金曜日

2024/01 IN MY LIFE Mixtape

 去年は新譜のレビューをひたすらポストするという労力をかけていたが、結構しんどかったので今年はプレイリストを作っている。これが一周回ってめっちゃ楽しい。新譜縛りではなく、その月の出来事、たとえばレコード買ったり、惜しくも亡くなってしまったアーティスト、ラジオで聞いた曲など、偶然出会った音楽と新譜を混ぜて1つの流れを作っていく。この作業がDJするのと同じで楽しく音楽の記録としても結構分かりやすくて良かった。新譜は「新しい」というトリガーで聞けるのだけど、旧譜との出会いは意外に少ないがゆえにセレンディピティを大事にしたいし記録に残っていけばよい。

 あと単純に自分の好きな曲を集めて、それを聴く快楽が想像以上にあったことに驚いた。これは皆アルバム単位で聞かずに自分の好きなものだけ繰り返し聞くようになるよなと納得した。

 今月分はこれ。車を角にぶつけたので自戒のジャケ。こういうジャケ作りも昔から好きなので楽しい。

🍎Apple music🍎


🥝Spotify🥝

EASY FIGHT

EASY FIGHT/堀口恭司

 堀口恭司の自伝ということで読んでみた。戦極、DREAMの低迷期に見ることを止めてしまった総合格闘技を再び好きにさせてくれたのは彼のRIZIN参戦の影響が大きい。ゆえに楽しみにしていたが思っていた内容と違う感じが否めず、そこまで楽しめなかった。本著のターゲットは格闘技ファンというより、もっとライト層向け、さらにはカルチャーから何か自己啓発的なものを抽出したい衆向けなんだろう。幻冬舎からの発行で編集に箕輪厚介という時点で察する部分はあったにせよ悲しかった。

 本人が直接書いたのではなくインタビューを書き起こしたものと思われる。Q&A式ではなく彼の一人称で自分の生い立ちや試合、最近の格闘技業界について書かれている。RIZIN参戦前の経歴は知らないことが多くオモシロかったし、さらに試合時の心境などはRIZIN Confessionsを見ているようで興味深い内容が多かった。ただ読んで気づいたこととして、自伝より評伝の方が好きだなということ。主観である自伝の醍醐味として外部から見えない当人氏から知らない情報や感情などがあるが、本著ではその主観を使って彼の精神論が繰り返し登場する内容に辟易した。

 格闘技と新自由主義の相性は抜群であり「やるやつこそが正義」というテーゼを掲げた上で彼の口から格闘技に対する精神的なアプローチを繰り返し引き出していた。当然彼の本心だとは思うものの、それは見せ方次第で良い風にも悪い風にも捉えられる。あくまで主観だが「ごちゃごちゃ考えずにjust do it」的な物言いが正直苦手だった。

 彼は泰然自若であり本著内でも感情をコントロールすることによるパフォーマンスの向上の話が何度も出てくる。普段の試合前の煽りは少なくリング上で「最強」を誇示してくれるからこそ好きな格闘家だ。しかし本著内では後半にかけて他者、特に朝倉兄弟、那須川天心への言及が結構多くてガッカリした。先述のとおり彼は聞かれてるから答えているのだろうと推測できるものの、一人称の文体なので、まるで彼が自分から現状の格闘技について小言を言っているように見えてしまうのが本当にもったいない。そういったくだらない争いに巻き込まれたくないから自分でガチの実力派団体を旗揚げしているわけで、彼が最近の格闘技界隈の不良優遇や過剰なSNS煽りについて踏み込んで、こうやって残る活字でコメントする必要もなかったはず。読み手を煽りたい気持ちも理解できるけど、堀口恭司のキャラクターと一致していないから残念だった。とはいえ彼のことは引退までずっと応援していきたい。この本を読むよりも以下の動画を見る方が100倍は彼のことを知れると思う。


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2024年2月7日水曜日

わかりやすさの罪

わかりやすさの罪/武田砂鉄

 文庫化されていることを知りサクッと読んだ。もはやおなじみと化した砂鉄節がこれでもかと炸裂していて楽しかったが、それだけで済まないズシンとくるものがあった。

 世間の言葉使いやその風潮について逐一理詰めでツッコミを入れており、今回の大きなテーマは「わかりやすさ」。普段何気なくスルーしていることを今一度立ち止まって論考を深める作業は必要だと理解しつつ、大量の情報に溺れる日々ではいちいち気に留めていない。しかし、そうやってかまけていると権力や企業はその間隙をこれでもかと突いてくる。このように社会的に「わかりやすさ」が跋扈しやすい状況では流れに身を任せていない人間は偏屈、天邪鬼などと言われてしまう。しかし著者はそんな他者のことなんてつゆ知らず、ひたすらに思考し続けていることに勇気をもらえた。

 本著はここ5年くらいの社会のムードを分析しているので、最近の小説を読んでいるときに「まさしくこの話!」と思う場面がたくさんあった。最初は偶然の一致かと思っていたが、それよりも物書きの人が抱く現在の社会に対する違和感が一致しているということなんだろう。

 奇奇怪怪のTaitan氏が解説でも書いていたが本著の恐ろしいところは「何でも分かりやすくするの良くないよね!複雑なものはそのまま受け取ろうよ」といった短絡的な結論に向かえないところ。特にこうやって読んだ本の感想をつらつら綴っているのは「わかりやすい」要約を作る作業と変わらない。また個人的にグサッときたのは以下のライン。身に覚えがありすぎてコーヒー吹いた。

「さっきの話はとても重要で」ではなく、「さっきの話はとても重要だと思っていて」とする言い方。自分が話していることなのに、自分が話していることではないみたいだ。自分をどう見せるかに卓越しているかどうかが問われすぎているからこうなった、と結論付けるのも早計だが、あまりの頻度に驚いてしまった。感情を吐き出すのではなく、その感情を吐き出す理由、つまり「なぜなら」を必須にしているように思える。

 ここで書いているのは本の感想なので「思った」の文末は致し方ない部分があると自分を甘やかしつつも断定を避けて保身に走っていると言われればそれまでだ。あと特定のラインを引用して本を象徴するような書き方もしているので心に鈍い痛みが…

本を通読し、ココがポイントであろうと加工する行為は、その本の「真」を摑むための行為ではない。加工では「真の情報」は摑めない。本は、そして文章は、すぐには摑めないからこそ、連なる意味があるのだ。簡略化される前の、膨大なものを舐めてはいけない。

 何かをわからないまま置いておく、もしくは議論し続けるだけの忍耐力が社会から失われつつあるのは間違いなく近年は加速している。安易な二択の奥に潜む有象無象に思いを巡らせたい。戒めとして引用。

わかりにくいものをわかりやすくすることは難しいことではない。切り刻んで、口にしやすいサイズにすることはおおよそ達成することができる。でも、それを繰り返していると、私たちの目の前には絞り出された選択肢ばかりが提示される。選択肢が削り取られる前の状態を知らされなくてもそのことに慣れてしまう。「便利」と「わかる」が一体化している

2024年2月6日火曜日

おもろい以外いらんねん

おもろい以外いらんねん/大前粟生

 最近、奇奇怪怪というポッドキャストを聞き始めてそこで紹介されていたので読んだ。発売当時も気になっていたのだけど、お笑い、漫才に関する小説といえば『火花』という圧倒的傑作が脳裏をよぎってしまい躊躇していた。しかし実際読んでみると著者はそこも承知の上で小説を通じて今のお笑いを批評する形になっておりとてもオモシロかった。

 高校時代の同級生2人がコンビを結成してプロのお笑い芸人として売れることを目指す。このど直球のプロットに対して主人公を2人の友人である第三者としている時点でお笑いについて距離を置いて描こうとする姿勢が分かる。お笑いを始めた人、始めなかった人のそれぞれの人生が交錯していくのだが、特徴はコロナ禍真っ只中の話だという点。今となっては完全に過去の出来事で一体どうやって過ごしていたかも記憶の彼方になりつつある中で改めて創作物で読むのは非常に新鮮だった。特にお笑いは密が一つの売りの商売がゆえに距離を取ることによる価値観の転換(コンビ間の思想も含め)が如実に表現されていて興味深かった。

 2人のお笑いコンビの片方がバラエティで重宝されて、ネタ原理主義者であるその相方はテレビに出られない。そして前者をカラッポと表現している点から昔のハライチを想起して読んだ。お笑い芸人としてどんな形で笑いを取っていくか、その形にこだわる人間とこだわらない人間のギャップについての考察が物語を通じて行われる。後者のこだわらない人間による容姿いじりや女性へのセクハラが近年は問題視されるようになりつつあり、その過渡期の物語としてこれほど自覚的なエンタメは読んだことがなかった。

 特に最近は松本人志の騒動についてどうしても考えざるを得ない。彼を経典とするお笑いを長年見てきた身からすると、どういう気持ちになればいいのか本当に難しい。彼の及んだ行為を嫌悪する気持ちはあるし、それに由来するであろうホモソーシャルなノリ、近年のニュースバラエティでの権力側への擦り寄りなどは結構しんどくてここ数年は敬遠していた。しかし、彼が構築してきたお笑いの価値観で育った身だし、過去に死ぬほど笑わせてもらったのも間違いなく、すべてを否定するのも苦しい。その狭間で揺れる気持ちが正直ある。

 本著はそんな揺れる気持ちに対して「おもろい以外いらんねん」と優しく諭してくる。物語の力を駆使して全力で「傷つかないお笑い」を肯定しようと思えばできるはずのところを敢えて結論を迂回させつつ終盤にタイトルをダブルミーニングで使った展開となる点が白眉だった。現状維持ではなく変わりゆく社会に順応していくのもお笑いでありカルチャーだよなと思わされる。ネタ原理主義者の彼が放つ以下のラインが今一番グッとくる言葉。

笑いが傷つかない漫才がしたい。


東京都同情塔

東京都同情塔/九段理恵

 前作のSchoolgirlが好きだったので芥川賞を受賞した新刊を読んだ。生成AIを小説に導入していることで大きな話題になったが、それはあくまでパーツであり現在の日本社会のムードを背景に言語論、都市論などにリーチする興味深い作品。色んな考察をしたくなる材料が大量においてあり作品内で解決しないことが多いのでページ数の割にかなり読み応えがあった。

 国立競技場を建て替える際にザハ案が採用された東京が舞台になっている。遠くない、あり得たかもしれない未来の中でソフトSFな展開が起こりつつ主人公である建築家の女性が自身の言語感覚について論考する様が興味深かった。彼女の頭の中を覗いてるよう。合間に生成AIとやりとりしつつ言葉が彼女の心の内と外を行き来する。言葉を発するまでの思慮というのは大量にあるわけだが、AIとの対比によって人間の冗長さが際立っていた。それを無駄と捉えるかどうか?何でも最短距離で辿り着くことが合理的とされつつある社会で、今のテキストベースのコミニュケーションの中でも比較的婉曲な小説で表現していく姿勢がかっこいい。

 言葉が外に出ていく前に心の内で自己検閲するくだりが何度か出てくる。ソーシャルジャスティス全盛の時代、失言しないためには必要な能力ではあるが、無難を選び続けた結果、個性は死んでいきAIと変わらない言葉を発する人間になるのでは?という疑問を呈しているように感じた。終盤に登場するアメリカ人のライターの言葉遣いが対照的で”fucking(クソ)”を多用する。AIは自重する言葉で自ら発することはないだろう。しかし、こういった言葉がいい意味でも悪い意味でも人間を人間たらしめているのだと感じた。同じような論点でいえば漂白された社会についても意識的で、その象徴が主人公のパートナーのような男性と塔の存在だった。

 前者は洗練されているといえば聞こえはいいのだけど色がなさすぎて実体を掴みにくかった。希薄な欲望、足るを知るが極まっているような印象があり、十把一絡げに言えないことは重々承知の上で個人的には最近の若者像を結んだ。

 後者は東京都同情塔という名前で実質刑務所なんだけども自由度の高い環境で管理する近未来型のものとして描かれている。刑務所内をジェントリフィケーションしてしまって素晴らしい環境を受刑者に提供し社会にインクルージョンしていこうね、という話。この塔が諸外国に比べて相対的に貧しくなりつつある日本を暗喩しているかのようだ。それと同時に先に紹介したライターの視点(外圧)が加わることにより、エゲツない勾留状況で海外からの難民を排除している現状の入管に対する皮肉にも受け取れた。その他にも女性が受ける性暴力の問題、死刑を含めた厳罰問題の是非、外圧でしか変わらない内向き姿勢など社会に横たわっている課題がさりげなく配置されており、直接物語の推進力に寄与しないが明確に問題視している絶妙な塩梅が見事だった。

 また新宿御苑付近に超高層タワーとして建築される同情塔とザハの建築が対をなす描写が個人的に好きだった。近未来の東京、品のあるサイバーパンクとでもいえる艶やかさ。そして終盤に主人公および塔の内外の境目が曖昧になり一体化していく様は圧巻だった。御苑を舞台にしているのも課金制という内外の壁がある中で登場人物たちが壁を乗り越えて無効化していくのも示唆的に感じた。邪推も含めて楽しめる要素満載の芥川賞受賞も納得の快作!



2024年2月1日木曜日

一私小説書きの日乗 遥道の章

一私小説書きの日乗 遥道の章/西村賢太

 4冊目の日記集。前作の流れのまま同じフレーズを多用した日常の生活記録だったが、引き続きずっとオモシロいのだから著者の読ませる力が相当あるのだと思う。個人的に残念だったのは表紙絵。今回は手書き原稿が表紙になっているが、過去作の味わい深い黒と色のコントラストの絵であってほしかった。

 前作からの違いといえば頻繁に自炊しているところ。カレーをかなりの頻度で作っていた。あと行きつけの信濃屋では、お店で締めの丼や麺を食べていたのに、そこを我慢して「仕上げ」と称してわざわざ1人で別のラーメン屋で締めるようになっている。もともとtoo muchな食事はますます加速、もはや畏怖の念を抱くレベルだった。この食生活だと54歳で亡くなったのは納得せざるを得ない。

 テレビ出演の頻度は下がり作家業として締切に追われる生活が克明に描かれている。不規則な中でもクリエイティビティを発揮しようとストラグルする姿勢がカッコよかった。特に書けないときのもどかしさを食事、飲酒、買淫というストレートな欲求で紛らわせている点が正直でオモシロい。なお「買淫」という言葉は風俗へ行ったことを明示しており、その感想(あたり/はずれ)を最初の日記から毎回書いている。こういった内容に嫌悪を抱く気持ちは出版当時よりも加速している社会において「ほんとのこと」を書く彼の作家としての矜持を感じた。読んだ皆が感じるであろう「喜多方ラーメン大盛り」とのコンビネーションが生むグルーヴ、これはまさに人間の業だと思う。こんなに端的に人間の欲を表明している表現もそうそうない。

 基本的に繰り返しの日常の中でも人への悪口を書く場面があり、そこでの筆が踊るかのような文体がたまらなかった。極めて露悪的だと思うものの、ここまでの表現になると完全に芸だと思えた。流行りの論破とかそういうレベルではない。特にネット記事の記者に対するネチネチした罵詈雑言の精度がめちゃくちゃエグかった。残り三作も楽しみたい。