2015年7月26日日曜日

ルック・オブ・サイレンス


昨年強烈なインパクトを残した
アクト・オブ・キリングの続編と言うべき作品。
アクト~はお上の指導を逆手にとり、
国の英雄として扱われている虐殺者たちに
当時どのように殺しをしていたか演じさせて、
その残虐性をあぶり出す作品でした。
一方の本作は正攻法で被害者を主体として、
加害者にインタビューする姿を押さえたドキュメンタリーとなります。
人間の底深い闇というか、やった側/やられた側の構図が
くっきりと浮かび、そこにはおそらく一生埋まらないだろう溝がある。
そして、人を動かすのが感情ではなく、
システムだったときの怖さがよく分かる映画でした。

主人公はアディという眼鏡職人、
お客さんを訪問、視力を想定し、眼鏡を作るという仕事をしている。
彼の兄は1965年の大虐殺の歳に殺されています。
監督のジョシュアが兄を殺した加害者のVTRを彼に見せて、
その加害者を実際に訪問し、インタビューしていく。
アディの母、父は健在なんですが、
父は目、耳が不自由で母が介護している状態。
基本的に張り詰めた空気に満ちた映画なんだけど、
それを緩和するのが母、父の日常生活と、
アディの家族、主に子どもとの生活となります。
ボケた父が歌う謎の歌謡曲が印象的だったし、
個人的にはベビーパウダーを乱暴にふりかけるくだりは笑ってしまった。
あとアディの子どもの天使っぷりは凄まじい。
この緩和要素があるからこそ、
本筋の緊張感が際立っていると思います。
メインとなるのは加害者vs被害者の構図。
いろいろな立場の人間が出てくるんですが、
共通しているのは無かったことにしようとする点。
被害者が不在の状況で当時のことを聞かれると、
殺しのことを自慢して己の正当性を精神的に担保するのに対して、
いざ被害者を目の前にすると自慢はせずに、
「もうええやん、過去のことやねんから」とか、
「蒸し返したら、もう1回同じことが起こるで」とか言う。
被害者と加害者が同じエリアに住み、
なおかつ加害者が圧倒的多数を占める社会で、
アディが身を呈して質問する姿は賞賛したくなるものの、
自分の命を大事にしてくれ!と心底思いました。
彼は決して謝罪を求めるわけではなく、
「本音」で話したいと言い、
加害者がどういった心境なのかを確認しようとする。
つまりは自発的な謝罪の気持ちの有無を見ているわけです。
しかし、インタビューされている側からすると、
詰問されているように感じて、決して謝ることはない。
言い訳したり、ブチ切れたり、恫喝したり。
自分たちはあくまで悪者(共産主義者)を退治しただけ、
システムが自分たちを動かしたと主張する。
ここが本当に怖い点で所在なき悪とでも言うべきか、
そこに怨恨等の感情はなく、大多数が支持しているものは正義!
という民主主義のバイオレンス性を垣間見ました。
この原理であれば、どの国、どの時代に起こっても不思議じゃない。
そこまで考えさせるパワーに溢れている映画だと思います。
アクト~とセットで見ることをオススメいたします。

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