2025年7月2日水曜日

チェーンギャング・オールスターズ

チェーンギャング・オールスターズ/ナナ・クワメ・アジェイ=ブレニヤー

 前作『フライデー・ブラック』が滅法オモシロかった著者による二作目。今回は短編集から長編にフォーマットが変わったものの、オモシロさはあいかわらずぶっちぎり…!いわゆる日本の少年漫画的な世界観が全編にわたって展開されつつ、彼のシグネチャーといえる、アメリカにおけるマイノリティへの差別構造が見え隠れするレイヤードスタイルは健在。これぞエデュテイメント!

 アメリカでは刑務所に収監される人数が膨大になる中で、囚人たちを安価な労働力として搾取する「産獄複合体」が社会問題となっている。以下リンクやNETFLIXのドキュメンタリー映画『13階段』に詳しい。

現代の「奴隷制」アメリカの監獄ビジネス 黒人「搾取」する産獄複合体の実態

本著は、その刑務所産業をSF的発想で拡張し、刑務所ごとに受刑者たちをチーム編成させ、対抗形式で殺し合いをさせる、そんな格闘イベントとして殺し合いをエンタメ化してしまうという、ある種の残酷ショーが舞台。物語は殺し合いの参加者や周辺人物の群像劇として描かれている。キャラクターの魅力が本当に素晴らしく、さながら少年漫画。各キャラには複雑な背景と武器が設定され、ゲームのようなランク制度まで存在する。世界観の作り込みの強度は本当に高く、友情・軋轢・強大なヴィランの登場など、子どもの頃から慣れ親しんできた格闘漫画フォーマットが踏襲されている。ページをめくる手が止まらなかった。

 なかでもメインで描かれるのは、No.1とNo.2の実力を誇る女性ふたり。彼女たちは愛し合う存在でもあり、最強同士の百合的関係性が本作の大きな魅力となっている。少年漫画的世界観との差別化ポイントであり、マスキュリニティに満ちた刑務所産業へのカウンターとしても機能しているのが印象的だった。

 表面だけ見ていれば楽しいバトルエンタメ小説に見えるが、そうは問屋が卸さない。なぜなら参加者たちは全員受刑者であり、なおかつその戦いで敗れることは、そのまま死を意味するからだ。つまりこれは、新たな形の死刑制度にほかならない。バイデン政権下では死刑制度の見直しが進んでいたが、再びトランプが就任したことで死刑執行が活発に行われる可能性が高い。著者はそんな状況を憂慮していたのだろう。これは死刑制度に代表される懲罰願望が拡大する機運がアメリカにあるとも言えるだろう。

 現在問題になっている深刻な現実をエンタメにレイヤードしているわけだが、そのスタイルが斬新だ。例えば、大量のTMマークは、いかに民間企業が刑務所産業に食い込んでいるかを示す象徴的な表現である。また、受刑者が参加にあたってサインする契約書の描写から、このバトルプログラムのルールを知ることになわけだが、これは完全にシステムと化している現在の刑務所産業を暗に示唆しているようにも受け取れる。

 印象的だったのは、バトルを含めて受刑者が小説内で亡くなるたびに注釈で著者が弔いの言葉を書いている点だ。バトルフィクションかつ展開が早いので、命が軽く取り扱われてしまうところを意図的にブレーキを踏み、人間としての尊厳を取り戻そうとしており、そこに著者の真摯さを感じた。

 刑務所産業への批判にとどまらず、刑務所そのものが孕む暴力性にも意識的である。特に独房における拷問シーンが強烈だ。インフルエンサー(!)と呼ばれる棒を使うことで、通常の何倍もの痛みを引き出して囚人たちを追い込んでいく様は読んでいて辛かった。このように囚人を過剰に抑圧した結果生まれてしまう悲しきモンスターの誕生はマジで漫画!と感じた。

 痛みを増幅する方向ではなく、収監されているあいだ一言も話すことができない刑務所もあり、そちらは窒息しそうになる息苦しさが表現されていた。どれもがエクストリームな設定ではあるが、刑務所で行われている拷問に近い暴力を念頭においたものであることは「謝辞」で展開される情報ソースの多さから明らかだろう。

 好みはわかれる作品かもしれないが、ここまで振り切ったスタイルはこれで良しと思える。次はもう少し内省的な物語を読みたい。