2025年5月13日火曜日

BAD HOP解散!!…. その後のわたくしzine

BAD HOP解散!!…. その後のわたくしzine/マルリナ

 文学フリマで『日本語ラップ長電話』というZINEを売っていたのだが、購入してくれたお客さんから手渡しでもらった紙のZINE。タイトルからして絶対オモシロいだろうなと思って、何気なく読み始めたら、一気読み…!オモシロ過ぎた。しかも、noteでもブログでもなく、手書き&セルフ印刷というスタイルがかっこいい。ZINEブームの中で、ZINEを作って販売することで承認欲求を満たしている自分のことが恥ずかしくなった。資本主義が介在しないガチのZINEは、まさに「ヒップホップ」としか呼びようがない。古参ぶるつもりは毛頭ないのだが、もう十年以上聞いているので、どうしたってアーティストや曲に対して「あーこの感じね」と悟った態度を取ったり、御託をうだうだ並べてしまうわけだが、本著にはヒップホップに対する初期衝動とパッション、それに基づく実践が、これでもかと詰め込まれていた。

 表紙に書かれているとおり、BAD HOPのファンだった著者が、解散後どのようにヒップホップライフを過ごしているのか、ライブレポととして記録されたZINEである。ライブレポは時系列に並んでおり、日記に近い形でリアルな気持ちと現場の様子が丁寧に描かれている。今は昔のようにCDをたくさん買わなくても音楽を聞けるからからいいなぁと思っていたが、その分だけライブやマーチにお金が投下されている現実が記録されていた。とにかく小箱、大箱、都内、地方問わず、自分が好きなアーティストのライブに通い詰めているのだ。BAD HOPを入口として、LANA、KviBaba、Elle Teresaなど現状のトップどころのライブにこれだけ通い詰めていることに驚くし、それがSNSにあるような短絡的な感想ではなく、言語化されていることが貴重だ。媒体におけるライブレポには意味がなくなっているかもしれないが、一個人の記録としてのライブレポにはまだまだ価値があること、そしてBAD HOPがヒップホップの間口を広げる存在として機能していたことを思い知らされた。

 さらにウェブ媒体にあるようなライブレポと一線を画している点は、周辺の観客の様子まで記録されている点である。最も驚いたのは、ライブで周囲のお客さんから押されることが常態化していることだった。本著に登場するような若手のラッパーのライブには足を運べていないし、ライブに行っても自分の背が高いこともあり、後方で見ているので、まったく預かり知らない「ライブあるある」だった。そして、どうしてお客さん同士が押し合うかといえば「近くで撮影したいから」というのも、今の時代のヒップホップライブの現実を映し出していると言えるだろう。また、現場にいるギャルたちのパンチラインの数々にも完全にノックアウトされた。まさに ”この現場以外に本場なんてのは存在しない” のだ。

 ヒップホップカルチャーはおびただしいコンテキストがアーティストや楽曲の背景に存在し、他のジャンルの音楽に比べて、聞く上でのハードルが高くなっているのは間違いないだろう。それはポップな層を新規として受け入れられないハードルになるケースもあれば、一度好きになれば、どこまでものめり込める沼の深さがあるとも言える。その双方がファンの視点から余すことなく描かれている稀有な一冊だった。

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