2025年3月7日金曜日

法治の獣

法治の獣/春暮康一

 国内SFは海外SFに比べると、取っ付きづらく、どれから読んでいいかわからない。そんな中でポッドキャスト番組『美玉書店』と出会い、今では国内のSFガイドとして個人的に一番好きなポッドキャスト番組だ。そこで本著の著者である春暮康一特集が組まれていたので、国内SF入門編として読んだのであった。(ポッドキャストは過去三回分しか公開されていないので、特集回はもう聞けなくなってしまっているのだが…)テクノロジーを駆使した思考実験が物語へと見事に昇華されていて興味深かった。

 三つの中篇で構成されており、それぞれ別の話ではあるものの、表題作以外の二作は繋がりがある。巻末の作品ノートによれば、三作とも「《系外進出》シリーズ」と作者が名付けたシリーズに含まれるもので、文字通り太陽系外に人類が飛び出していき、そこで遭遇する生命との関わりを描いている。ファーストコンタクトものは、SFの定番中の定番ではあるが、本著ではコンタクトすること自体の是非、そしてコンタクト後の倫理的課題についてフォーカスしている点がとてもユニークだった。三作に共通する人類の認識として、太陽系外の生物に対して不必要にコミットしないことが前提となっている。つまり、人類の都合で植民地にしたり、生態や文明に不必要に介入して改変してはならないということだ。その前提において、人類がはかない希望を抱きながら、なんとかコンタクトを試みる過程がとても興味深かった。

 印象的な表紙絵は国内SF作品を数多く手掛けてきた加藤直之という大御所らしく、この絵からはクラシカルなSFのムードを感じる。しかし、中身は想像以上にモダンであり、AI、功利主義など現在の世の中のテーマと関わりがあるので、そのギャップに驚いた。AI時代到来で世界が新たなフェーズに突入する中で読むSFは、その先の未来を想像させてくれるので、刺激的で読むのが楽しい。本著の各作品ではアシスタントとしてのAIはデフォルトであるが、そうなっていたとしても人間が尊厳を失わないように工夫している様子が伺えて、今後にAIとの付き合い方の参考になるかもしれない。

 とにかく「よくこんな設定を思いつくな〜」ということばかりで、これがハードSFと呼ばれるサブジャンルなのであれば、かなり好きかもしれない。なぜなら、科学の知識をフル動員した、著者による思考実験のようなものだから。一定の論理を貫きながら、なるべく破綻しない世界観を作り上げ、さらに物語的魅力を展開していく著者には畏敬の念を抱くしかない。表題作がその思考実験っぷりが最も発揮されている。法律、資本主義、研究など多彩なトピックが縦横無尽に入り乱れる様は、法治の獣こと、一角獣のシエジーが走り回る様とシンクロするかのようだった。

 コンピューターを中心として、人類が生み出すテクノロジーに対して無限の可能性を抱いていた時代が終焉しつつある中で、SFが少し先の未来を描くものとして、さらなる未知を追い求めた先にあるのは「生物」という視点も興味深い。0か1のバイナリ的思考が世界を席巻しているが、それよりもグラデーションを持つであろう生物の世界を詳しく解き明かした先に、別の未来が見えるのかもしれない。そんなことを考えさせられたのであった。

 いずれの話も人類が地球で飽和しているゆえ、別の居住可能な惑星を探すことが目的ではあるが、それを上回るのは人間の好奇心である。「一体何なのか?」「どういう仕組みなのか?」人間がここまで進歩してきた過程において、そういった好奇心が原動力であることは自明だが、極めて原始的な「遭遇」から炙り出される「業」にも近い好奇心の側面が丁寧に描き出されていた。次は本著よりもさらに未来を描いたらしい『オーラリメイカー』を読む。

2025年3月5日水曜日

Paloalto Live In Tokyo

 韓国のラッパーPaloaltoの単独公演があったので行ってきた。韓国ヒップホップにおいて最もアイコニックな存在はJay Parkであることは間違いないが、裏番長とでもいうべきか、屋台骨のような存在がPaloaltoと言ってもいいだろう。そんな彼のレガシーがたっぷり詰まった90分のショウケースは、圧倒的すぎるラップスキルとライブスキルで完全にノックアウトされた。最近見たヒップホップのライブの中でも群を抜いたクオリティだった。2020年のShow Me The Money(以下SMTM) 9から韓国ヒップホップを聞き始め、もう5年ほどシーンを追いかけ続けた、その魅力が存分に発揮されていたのであった。

 事前に本人からセットリストが公開されており、それを聞いてから、ライブに臨んだのでかなり楽しみやすかった。ライブ会場はミュージックバーに近いクラブのようなところで、ステージの横を人が通るような、お世辞にもライブ向けとは正直言いにくい場所。ライブ前は心配だったが、それは杞憂だった。「弘法筆を選ばず」をまさしく体現しており、1MCのラップだけでこれだけロックされるのは本当に久しぶりだった。タイトなラップがかっこいいのは当然ながら、声の安定感、ライブでの所作など、すべてがベテランゆえの技量で「これぞプロフェッショナル…!」と感嘆せずにはいられなかった。

 本人がDJすることも影響していると思うが、押し引きの構成が本当に見事で緩急を駆使し、とにかく飽きさせない。韓国ヒップホップの屋台骨がゆえに、自身の曲だけではなく、Featで参加したヒット曲がたくさんあるわけだが、それらも出し惜しみなく披露してくれるサービス精神旺盛っぷりも頼もしい。また、曲のバリエーションが豊富で、縦ノリ、横ノリを自在にコントロールしてるあたり、マスターオブセレモニーとしてのMC能力が高く、相当なライブ巧者であることが証明されていた。

 曲間のMCはすべて英語で、日本語はiPhoneにメモしたものをたまに披露していた。日本での単独公演かつ、これだけの長尺は初めてらしい。前半はDaytona移籍後の2枚『DIRT』『Lovers turn to Haters』が中心。自らがオーナーだったHi-Lite Recordsをクローズした際はかなり驚いたが、Daytona移籍後はCEO業をQuiettに任せ、ラップにフォーカスしたこともあってか、いずれの作品も個人的にかなりお気に入りなので、それらの楽曲を生で聞けただけで最高だった。この日買った『DIRT』のバイナルは一生大切にします…

 さらにそこからFeat曲、Hi-Lite Records、4 The Youth、SMTMというパートに分けながら、ライブが進むことで、彼のレガシーがスタックされていく構成は、Paloaltoがどういうラッパーなのか証明するようなものであり、ライブを見終えたあと、彼に対するリスペクトがこれまで以上に増した。Hi-Lite Records時代の曲を中心に往年の名曲でかなり盛り上がっていたので、この日を待ち望んだ古参ファン(a.k.a 同志)がたくさんいたのだろう。個人的には後半の4 The Youth、SMTMパートがかなりグッときた。『4 The Youth』は当初、JUSTHISのわかりやすいラップスキルで好きになったのだが、聞き返すたびにPaloaltoの魅力に気づくことになった韓国ヒップホップのマスターピースだ。「Wayne」「Swith」「Next One」といった楽曲群を生で聞けたのが嬉しかった。そしてSMTMパート。昨年見たBlaseのライブでもSMTMパートがあったが、PaloaltoのSMTMパートはコミットしてきた歴史の長さもあいまって、番組で生まれたクラシックとしての圧倒的な強度があった。なかでもSMTM9で生まれた「Want it」はSMTM9で韓国ヒップホップの衝撃を受けた身なので、5年のときを経て本人のラップを目の前で聞くことができて感慨深かった。

 この規模かつ90分のライブを見れたのは本当にラッキーで満足度が高かったことは間違いない。ただ、継続的に日本で韓国ヒップホップのライブを見る可能性を考えると、今回のような形はあまりサステイナブルではないと思うので、日本と韓国のラッパーの交流がもっと進んで、相互が盛り上がるフェスのようなものが開催される未来を期待してやまない。