2023年3月23日木曜日

他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ

 

他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ/ブレイディみかこ

 友人たちがべた褒めしていたので読んだ。日本語で「共感(シンパシー/エンパシー)」と呼ばれる言葉には様々なタイプが存在し、それについて文献などを紹介しつつ解きほぐされていて興味深かった。内容としてはかなり学術的なものの著者のいい意味で平易な文体でかなり分かりやすかった。

 もともと人と同じであることに安心を覚えない天邪鬼気質なので共感に重きを置いていなかった。ただそれはエモーショナルな感情の連帯、シンパシーのことであり、本著で言うところのコグニティブ・エンパシーについては「人の気持ちを想像する」ことで回避できる愚行や逆の善行があるなと日々生きている中でいつも思う。そのアナロジーとして「他者の靴を履く」というのはなるほどなと思えたし、それを軸に置きながらいろんなケースを考察して同じアナロジーで説明してくれる点がオモシロくて分かりやすかった。たとえば被害者への過剰な感情移入について、「自分の靴で他者の領域をずかずか歩いているのだ」といったように。

 コグニティブ・エンパシーが後天的なもので訓練可能であるという話は自分自身が本や映画といったフィクションを通じてかなり訓練されてきたのだなという気づきがあった。一方で教育の中でどの程度その点に重きを置いてエンパシーを訓練しているかは微妙で著者の以下のラインに納得した。人の気持ちを想像すること自体が大変な作業にもかかわらず、そこにマイナスの動機が用意されていてれば、そら誰もやりたくないよなと思う。

子どもにとって(あるいは大人になっても)「 ○ ○ちゃんの立場に立って考えてみなさい」というパースペクティヴ・テイキングが、非常にウザくて説教くさいものとして心に刻まれる。

 アナーキズムの話もたくさん出てきていて、かなり勉強になった。やはりデヴィッド・グレーバーの視点の鋭さは著者を通じて改めて認識させられたし、現在「亡霊」が跋扈する社会に生きる身としては既存の概念に簡単に回収されずに自分がどう思うか、どう生きたいかをもっと大切にしたい。この辺がブチ刺さった。

わたしやあなたは、他の女性たちでも、他の男性たちでもない自分自身なのであり、その違いをたやすく放棄しないことは、「過度の共同性」に陥らず、正しい「共同性」を身に着ける素地になる。

他者から勝手に押し入れられるカテゴリー分けの箱に入って、箱としての呼称のラベルを貼られ、「この箱の中に入っている人たちはこんな味がします」という中身の説明や、「その味がするのはこんな素材が使われているからです」という原料リストをびっしり書き込まれることを拒否しなければ、自分が自分であることを守るのは難しい。

 個人と社会、利己と利他といったように相反する概念として世間で提示されていたとしても、それを鵜呑みにする必要はない。本著では相反するよりむしろ相互作用があるという話もかなり興味深かった。こういったある種の当たり前をいろんな本からの引用を駆使して解きほぐしてくれる点が一番オモシロかった。本著のきっかけとなった著者の大ベストセラーをまだ読んでいないので読みたい。

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