2024年11月27日水曜日

秋/アリ・スミス

 タイトルがタイトルなだけに、毎年秋になるたびに読もうと思って早数年、やっと読んだ。正直、秋という季節は大きなファクターではないので、季節にこだわって読む必要はなかった…それはともかく、イギリスのEU離脱という実際の出来事を小説に落とし込みつつ、そこに縛られることなく、時代や場所を軽やかに行き来する著者のスタイルに魅了された。『両方になる』は大きなギミックに気を取られてしまうが、本著では著者のスタイルがより浮き彫りになっている作品だった。

 イギリスに住む三十代の女性と100歳オーバーの昏睡状態のおじいさんを軸として、過去現在と縦横無尽に物語が展開する。冒頭、おじいさんが死後の世界を漂うような抽象的な描写から、女性がパスポートの発行に伴う書類手続きを郵便局で行う場面へと展開していくのだが、このギャップに驚く。たゆたうような世界にいたかと思えば、お役所仕事バリバリの官僚主義丸出しの現実へと放り込まれてしまう。物語全体を通じて時間や虚実にギャップのある展開が多く、その差分で物語を駆動させているから、わかりやすいストーリーラインがなくても良いというのは一種の発明な気がする。また、起承転結が明快ではないので、読後に「こういう話だった」という明確な像を結ぶことが難しい。こういった読みにくくなりそうな構成にも関わらず、ページをめくる手は止まらないのは、ひとえに著者の筆致がなせる業といえるだろう。

 実在のアートが物語の中心にあるのは『両方になる』から続く著者の特徴だ。主人公の女性が大学のアートに関する非常勤講師という設定なので、物語に無理なく溶け込んでいた。アーティストに対する考察を深めつつ、空想である物語と絡めていくことで、実在感が増していた。その物語自体も、著者が得意なメタ的展開を繰り広げており、二人で物語論を語る場面や物語内物語が頻出する。なかでも「銃を持った男と樹木の衣装を着た人物」をテーマにおじいさんがフリースタイルで語られる話が信じられないくらいオモシロかった。物語の力、ここにあり!と言わんばかり。物語が「嘘の話」という立て付けにされることがあるが、嘘と物語を明確に区別にしている点に作家の矜持を感じた。

私たちはみんな、一つの嘘によって値打ちが下がる。(中略)それとも、私は残念な真実を話した方がいい?

嘘の力はね、とダニエルが言った。いつだって、力を持たない人間にとっては魅力的に見える。

 素敵な比喩の数々や多用されるワードプレイに唸りまくった。原著を読めば、もっと発見がありそうだなと思いつつ、翻訳者の方が英語でルビを打ってくれたり、情報を補足してくれているおかげで味わうことができた。たとえばこれとかラッパーっぽい。

あの人が誰なのか、たぶんもはや誰も知らない。当時、歴史だと思っていたものは、今では脚注(フットノート)にすぎない。その注(ノート)にある彼女が今、裸足(ベアフット)であることに彼は気付く。

 イギリスのEU離脱が背景にあることから「分断」をめぐる話が多い。もともと本著がリリースされた2016年から「分断」という言葉は、2024年の今に至るまであまりにも多用された結果、形骸化している節もある。もはや「分断」はデフォルトであり、その状況でどう生きていくのか考えなければならない社会となったともいえる。そんな現在、本著を読むとコミュニティの大切さを感じた。つまり、大規模な連帯というより、小規模でも話をすることで互いの疑心暗鬼を解消できるのではないかということだ。大きな派閥同士の「分断」よりも、各人が孤立している「分断」のほうが深刻だと思うから。歳も性別も全く異なる二人が話す様やそれぞれのシチュエーションを知ることで、読み手は融和の可能性を見出すことができるはずだ。とはいえ「そんなに甘くない」と言わんばかりの描写が挟まれることで、現実に引き戻されるのだが…

 辛い現実の中でも、移民をめぐる議論は本著でもメインテーマとなっており、わかりやすいストーリーの部分を担っている。特に公共用地が二重に鉄線で囲まれ、その鉄線には電流が流れ、警備員までいる。公共のエリアなのに誰も入れなくなった「分断」の象徴に対して、女性の母親が骨董品、つまり歴史そのもの!をぶつけて打破しようとする、比喩でもなんでもないダイレクトな展開が最高だった。冬、春、夏が残っているので各季節をマラソンしていきたい。

2024年11月25日月曜日

乱読の地層


 ブログで本について4〜5年ほどレビューを続けている中、著者の方から直接リアクションをもらう機会も増え、自分にどれだけの腕があるか試したい。自分で本を作るとはどういうことなのか、体験してみたい思いもあいまってZINEを作ってみました。

 自分がキーボードで打ち込んだ文字が紙に印刷された「本」という形態で戻ってきたとき、脳がスパークするような感動がありました。実際に作るまでに色々葛藤はあったものの、本を作ってみて良かったなと思います。

 初めて自分の手元に在庫を抱えて何かを売る、つまり商いを始めて分かったことは、売るのは作る以上に難しいということでした。広告がビジネスになることを実感し、書き手にとって誰かが自分の著作について感想を書いてくれることのありがたみを逆説的に知りました。

 山は険しいのですが、一生懸命売っていきたいと思います。すでにご購入いただいた方には本当に感謝しかないです…ありがとうございます。ショップにいただいたコメントを読んで、ポッドキャストや本を作ることのおもしろさを改めて実感しました。ご購入いただける方は以下リンクからお願いします。

乱読の地層 エッセイ/ノンフィクション書評集

 そんな中でZINE作りの巨匠&メンターでもある植本一子さんから寛大なお誘いをいただいて、12月の文学フリマで一緒にZINEを売らせてもらうことになりました。ただのファンボーイだったのに、こんなことになるなんて!これもZINEを作らないと起こらなかったことであり、感無量です。東京近郊の方はぜひお立ち寄り&ご購入いただけますと大変嬉しいです。植本さんが最近書いている日記、ニュースレターでも紹介いただいており、こちらも読んでみてください。まさか自分が日記に登場する日がくるなんて。しかも丁寧に紹介いただいており感無量です。(二回目)

13日後に新刊を出す植本一子(2024/11/18)|植本一子

植本一子の短縮営業中(2024/11/25)

では当日お会いしましょう!現場でSee Ya!

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文学フリマ東京39


Q-35/植本一子

2024/12/01 12:00〜

https://c.bunfree.net/c/tokyo39/w/Q/35




2024年11月22日金曜日

2024/10 IN MY LIFE Mixtape


 10月も怒涛の新譜リリースがあり、毎日それを聞いていた。秋だからか、ベースが際立った曲をたくさん選んだ気がする。

 大きな変化としては久しぶりにSoulectionの番組を聞くようになったことだ。Soulectionは自分の音楽の嗜好性に大きく影響を与えたレーベル、コレクティブだ。彼らの番組は新譜のディグの深さと、そのトーンに合わせた旧譜のセレクトが抜群で聞いていて本当に楽しい。最近、ネプチューンズ特集があって、そこで気になった曲を最後にプレイリストの最後にまとめておいた。エディット、REMIXがたくさんかかってたけど、オリジナル曲でも古びないヤバすぎるスキルを感じたネプチューンズでした。写真はシルバニアファミリーの車。


2024年11月19日火曜日

こうしてお前は彼女にフラれる

こうしてお前は彼女にフラれる/ジュノ・ディアス

 オスカー・ワオの短く凄まじい人生のジュノ・ディアスによる短編集ということで読んだ。訳者あとがきで気づいたが、オスカーの友人であるモテ男ユニオールをめぐるスピンオフなので、ニコイチで、かつ連続で読んだほうが楽しいのは間違いない。

 どうしようもない浮気男であるユニオールのさまざまな人生のフェーズでの色恋沙汰と、アメリカ移民二世として生きることなどが描かれている。各短編は独立しているものの、ユニオールの人生という一つの軸があり、そこを起点に家族や恋人が登場して、すったもんだが起こっていく。居酒屋で聞く友人の恋愛話に近いものがあり、かなりフランクなノリで描かれている点が特徴的だ。それは女性器の翻訳が、大胆にも放送禁止用語の言葉で行われている点からも顕著だ。あと先を考えず心の赴くままに行動して、あとで後悔することの繰り返しなわけだが、それが一子相伝よろしく父→兄→ユニオールと継承されている様に業の深さを感じた。特に兄であるラファの存在は大きい。ラファはイケメンで女の子を取っ替え引っ替えしているのだが、ガンで若くして亡くなってしまう。兄に憧憬を抱き、その姿を追いかけて大人になったユニオールが兄の不在を埋めるように女性を追い求めてしまうのではないか?このあたりは訳者の方が、あとがきで突っ込んで考察しており興味深かった。

 トランプが再度大統領に当選した今、不法移民に対する規制が今より厳しくなることが想定されている中、着の身着のままでアメリカにやってきて何とか生きている人たちの話は、たとえフィクションだとしても胸が苦しくなる。もっとも顕著なのは、本著で一番硬派と言ってもいい「もう一つの人生を、もう一度」だろう。ドミニカからやってきた女性たちが、各自家族の事情を抱えながら、なんとかサバイブしているその姿に勇気をもらいつつも、同僚、恋人に過度な期待はしない、なぜなら裏切られると辛いから、という気持ちが伝わってきて切なかった。完全に偏見だが、ドミニカ人が楽天的というイメージを華麗に裏切る静謐さがあった。これが一番好きな短編。

 人生のターニングポイントとなった瞬間が密度高く真空パックされ、まるで走馬灯のように短編として配置されたのちに表題作が最後に用意されている。自身の浮気が原因で彼女と別れることになり、それを忘れるために様々なことに挑戦するのだが、何をやっても身体を痛めて八方塞がりとなってしまう。そんな状況で全体に厭世感が漂いながらも、NYで暮らすドミニカ系アメリカ人の日常が細かく描写されているので、どこか楽しげな空気を感じられた。正論でいえば浮気する奴はクソ野郎でしかないが、こと恋愛においては正論なんてまるで通じないし、それでも人生は続いていくことを教えてくれる一冊だった。

2024年11月18日月曜日

それはただの偶然

それはただの偶然/植本一子

 植本さんの新作は「わたしの現在地」として銘打たれたシリーズ第一弾のエッセイ集。最近の日記ブームの火付け役かつ牽引者であるわけだが、これまで読んできた身からすれば、日記を経た先にあるエッセイという印象をもった。

 一人でいることに耐えられず、常に誰かを求めてしまう。そんな自分の内面と向き合っている様子は近作の『愛は時間がかかる』や『こころはひとりぼっち』で書かれてきたが、本作は植本さんの周辺の人たちへの思いが率直に書かれており、対照的な一冊と言えるだろう。

 具体的な描写は避けられているものの、植本さん自身が事件に巻き込まれたことが幾度となく言及されている。事故、事件、病気といった自分のコントロールできない事態に突如巻き込まれる辛さは、本や実体験で分かっているつもりだが、本人にとってどれだけダメージがあるかは他者からはわからない。しかし、そんな中でも表現から伝わるものがあり、「春」という詩で描かれる絶望、虚無感は心の深い部分を刺激された。

 精神的に参った状態の植本さんの元に、まるでマーベルのアベンジャーズよろしく皆が集結し、彼女を支える互助の関係性を、内向的な自分としては羨ましく感じた。ご本人は誰かに頼ることを気にされているようだが、そんな風に助けてくれる人がたくさんいる状況は、人間関係が希薄な今の時代において正直想像がつかない。それはひとえにご本人の人望なのだろう。大人になればなるほど、新しい友達を作ることは難しくなるが、植本さんはそのハードルを軽やかに越えて、どんどん関係性を結んでいく。その様子が本作では手に取るようにわかるし、植本さんが植本さんたる所以でもあるのだと思う。それは一人のファンにしか過ぎない私に対する寛大さからも明らかだ。

 日記の生活感、それに伴う刹那性が多くの読者を魅了してきた中で、今回のエッセイにおいては視点が落ち着いている。言うなれば、日記はスナップショットの連続で、怒涛のように生活を追いかける、ドキュメンタリー性が極端に高いものだったのに対して、エッセイは日付がなく時間軸が曖昧になることで、構図が決まったポートレートのようで、一種のフィクション性さえまとっている。そこでは植本さんがカメラマンとして培ってきた、他者に対する眼差しの鋭さ、ショットの強さが存分に発揮されている。

 冒頭で述べたとおり、その眼差しを駆使した人物評が多いのが本作の特徴だ。自分のことが誰かに文字で書かれ、残っていく。書く/書かれる関係性について改めて考えさせられる。書くことで救われていた時代から、書かなくても残ることもあるという考え方の変化は、写実主義の傑作『かなわない』で知った身からすると隔世の感があった。また、書かれた側からの率直なアンサーが載っている点もスリリングで、ハイライトの一つだろう。

本書で紹介される人たちは、植本さんの魅力ある文章だからこそ、誰も会ったことがないにも関わらず、生きている様がまじまじと伝わってくる。特に終盤の元パートナーとの関係性の変化とある種の終結まで、思考と現実がシームレスに描かれており、これまでのことも思い出されて、壮大な恋愛ドラマのエンディングを見ているようだった。このエッセイから次はどんな風景を見せてくれるのか、毎度読み終わる度に期待と不安が入り混じる植本さんの著作からはいつも目が離せない。

※植本さんが出店される文学フリマのブースに『乱読の地層』を置いてもらうことになりました。当日、私も参加させていただきますので、東京近郊の方は是非お立ち寄りくださいませ。

文学フリマ東京39

Q-35/植本一子

2024/12/01 12:00〜

https://c.bunfree.net/c/tokyo39/w/Q/35

2024年11月12日火曜日

積ん読の本

積ん読の本/石井千湖

 本屋で見かけてパラっとめくって、オモシロいことを確信して読んだ。他人の読書スタイルや本棚に関するエピソードは誰の話でも興味深い、それを証左するような内容だった。

 著名人の自宅や仕事場を訪問して、本棚を見ながら、どのように積ん読しているか、また積ん読に対する考え方、ひいては読書全般に関することをインタビューしている。作家、学者、翻訳者など登場人物はさまざまだ。本棚のスタイルも雑然と山積みにしている人もいれば、きっちり本棚に収納して管理している人もいたり、本という物理媒体と向き合い方のグラデーションを知ることができて、本好きとしては脳汁が出た。写真が素晴らしく、カラーということもあり、かっこいい本棚の数々が美しく輝いて見える。やはり本がたくさん積まれたり並んでいる様は、収集癖がある身としては心を昂らされる何かがある。そして本棚は一種のレコメンドとして機能しており、インタビュー含めて読みたい本が増えた。

 本棚に本を置いておくことの意味は「いつか読むかもしれないから」とか「好きな本だから」以上の意味があることを本著は教えてくれる。本屋や図書館の本棚でもなく、電子書籍でもなく、自分の本棚を持つ意味を考えさせられた。特に山本氏の「本棚は知識のインデックス」という観点での主張は目から鱗だった。読む、読まないは関係なく積むことで意味が立ち上がる。それは自分の知識のアウトソースとして本棚が機能しているということだ。まだまだそんな境地ではないので、本棚道を精進したいところである。

 また、小川公代氏が主張していた「本棚はビオトープのようなものだ」という主張にはおおいに納得した。大きな本棚を最近購入して、そこに収まるだけにすると自分ルールを定めたことにより、本棚で好循環が起きており、まさに生きている感がある。手元に置いておきたい本と、パッと読んでしまいたい本のラインが長年の読書生活で定まってきたことも大きい気がする。本棚をエディットする感覚を本著を参考にしながら本棚を養っていきたい。

2024年11月9日土曜日

ISSUGI & GRADIS NICE 『Day’N’Nite 2』 Release Party



 ISSUGIの新しいアルバム『Day’N’Nite 2』のリリースライブへ行ってきた。2016年以来、二度目のGRADIS NICEとのタッグアルバムだ。GRADIS NICEはさまざまなラッパーにビートを提供しているが、やはりISSUGIとのあいだには特別なケミストリーがあり、今回のアルバムの素晴らしい曲の数々をライブで聞けることを楽しみにしていた。

 基本的にアルバムの流れで順番にパフォーマンスを披露していくスタイル。GRADIS NICEがバックDJを務め、アルバム冒頭を飾る「BK Suede」を流したところでISSUGIが登場。Navy NubackからBlack suede という変化と、下げたジーンズという変わらないスタイルの対比から放たれる”東京のアクセント”は誰もが簡単に真似できない彼のB-BOYスタンスだ。

 矢継ぎ早にfeatを呼んだ2曲へ流れ込む。「YingYang」「Step into the game」のいずれもEpic, Eujun, Sadajyo といったフロー巧者を召喚した曲だが、これらの曲におけるISSUGIのリリックに注目したい。”貧しさから握ったマイクじゃない”、”Japanese rap 悲劇の悪趣味をオレが喜劇でOver”というラインは明らかにRAPSTAR誕生以降を踏まえているように映る。それはSadajyoをフックアップしていることからも明確で、Sadajyoにはリアリティショーとして分かりやすい一種の「不幸自慢」がなかった。それだけが彼が敗退した理由ではないとはいえ、スキル、アティチュード至上主義のISSUGIが彼を大きくフックアップすることにシーンに対する一種の宣言が透けて見える。MONJU以外でSadajyo、JJJだけが2曲客演したこと、この日のセットリストにもあった「Lyrics, Gemz, Peeps & Treez」のリリックからも明らかだろう。

 GRADIS NICEとの1作目である『DAY AND NITE』からどの曲が披露されるのか楽しみにしていたが、仙人掌、Mr.PugというMONJUの盟友二人がそれぞれFeatで参加した曲だった。一作目は本当によく聞いたので、久しぶりにライブで聞くことができて嬉しかった。当時のリリパは代官山の「晴れたら空に豆まいて」だったことも踏まえると、この日の観衆の多さは隔世の感があった。

 上述したメンバー以外の客演はJJJ、BESといった安定感抜群な馴染みのメンツ。前回のライブでもバイブス番長としてのBESは際立っていたが、今回もそれは健在だった。アルバムの中では隙間の多いビートだが、ラップ魔神二人にかかれば極上の仕上がりになる。ここ5〜6年でBESのライブパフォーマンスを何度も見てきているが、確実に息を吹き返しており「あの頃のBESが!」という気持ちで本当に嬉しかった。JJJは言わずもがなの仕上がりであった。

 惜しむらくは今回のライブで5lackがいなかったことだろう。というのもアルバムにおける5lackの役割はアルバム全体のクオリティを支える大きな屋台骨だからだ。「Janomichi」で素晴らしいメロディでフックを歌ったかと思えば、「Wizards」で放たれるラップは独特の間の使い方で完全にネクストレベル。そんな彼の不在は痛手だったものの、そこは見せ方を工夫していた。特に「Wizards」では、5lackのバースをアカペラで聞かせてから、GRADIS NICEのエグいビートがドーン!と鳴ってぶち上げるという百戦錬磨のラッパーゆえの魅せ方が素晴らしかった。

 この日のハイライトはなんと言っても「XL」である。ヒップホップに対するアティチュードの表明は前作から特に顕著になっているが、今回のアルバムでは「XL」がそれを担っている。今のISSUGIのライブへ来ている観衆の多くは礼拝するかのように、そのアティチュード、つまり「俺たちの好きなヒップホップとは何なのか?」を確認しに来ているはずだ。だからこそ盛り上がりは他の曲と段違いだった。そして、この曲から「One on One」 へ流れていくことで「XL」の意味がより輝く。彼の数あるパンチラインの一つ、”XLのシャツに意味なんて求めるな”をリリースから11年も経った曲で回収していくのは本当にかっこよかった。本人も「一番ライブでやりたかった」と言っていたので、「366247」のような新たな定番になるかもしれない。

 また、ISSUGIのDJに対する独特の熱い想いも光った。スクラッチ要員としてDJ SHOEを呼びこんだり、一通り今回のアルバムの曲をやり終えると、バックDJとしてわざわざScratch Niceを呼び込んでいた。ヒップホップのライブでは、バックDJが単なるポン出しになることも多い中で、彼がDJに見出している意味がステージングから伝わってくる。ラップがうまいラッパーはいくらでもいるかもしれないが、こういう細かく、そしてかっこいいアティチュードの積み重ねが、ISSUGIというラッパーを形成していることが如実に現れた場面だった。

 今やヒップホップは日本でもポップカルチャーの一部となりつつあるが、それに伴った歪みを感じる場面はリスナーレベルでもたくさん遭遇する。プレイヤーサイドはそれ以上にどういう表現をするのか、アティチュードが問われる場面が今後ますます増えていくだろう。そんなとき、ヒップホップを文字通り体現するようなラッパーたちが最後の砦となり、私たちが愛するカルチャーを死守してくれるはずだ。そんな最後の砦のラッパーの一人、ラストB-BOYは間違いなくISSUGIだという思いを新たにするライブだった。