2026年9月4日金曜日

ディラ・タイム あたらしいリズムを創ったヒップホップ・プロデューサー

 

ディラ・タイム あたらしいリズムを創ったヒップホップ・プロデューサー/ダン・チャーナス

 夏はぶっとい本を読む。そんなSummer Readingにとっておきの一冊ということで楽しみにしていたのが本著だった。原著がリリースされた当時、美しい装丁に惹かれて「原著で読むか…?」と思ったことを記憶しているが、このたび翻訳されてリリースされた。本当に訳してくれて感謝!と大声で言いたいほどのオモシロさで、これまで読んだヒップホップ関連書籍の中でも特別な一冊になった。

 デトロイト出身のヒップホッププロデューサーであるJ・ディラについて、彼のサウンドの背景を丹念な取材によって描き出した一冊。タイトルや帯にあるとおり、彼が果たしたリズム面での革新を深掘りしながら、プロデューサーとして歩んできた足跡をほぼすべて記録しているような、J・ディラ本の決定版といって過言ではない。それを可能にしているのが、評伝としての側面と、彼のサウンドの楽理的に解説する側面、この2つを兼ね備えているからである。

 まずは前者だが、これが無類にオモシロい。彼がデトロイトで生まれ育ち、いかにしてヒップホッププロデューサーとして頭角を現していったのか。音楽的背景だけではなく、人間としての成長も含めて描かれているので、評伝としての仕上がりが抜群である。90年代〜00年代のUSヒップホップにおける逸話の数々は、いつ聞いても楽しいものだが、本著はそれらの詰め合わせ。読み進めているあいだ、宝石箱をずっとディグしているような感覚だった。

 それは単純にディスコグラフィーを追いかけるだけでは見えてこない、J・ディラ周辺の交友関係が浮き彫りになっているからだ。スラム・ヴィレッジ、ジ・ウマー、ソウルエクリアンズ、ジェイリブといった彼の所属したユニットの数々に加え、地元デトロイトのプルーフ、エミネムや、近しい存在だったアンプ・フィドラー、カリーム・レギンス、ドゥウェレなども登場する。壮大な大河ドラマを見ているような読書体験は唯一無二だった。本著に登場するほぼすべてのアーティストに夢中だった自分にとって「このタイミングで、この人物と、こんなことがあったのか〜」という展開の連続でとにかく最高だった。

 また、プロデューサーとしてではなく、J・ディラという人間そのものにフォーカスしている点も印象的だ。亡くなったことでスーパープロデューサーとして神格化されてきたが、改めてハードなリリックや実際の奔放な生活について知ると、あの天才的プロダクションの背景には、こんなにも人間臭い出来事が山積みだったのかと驚かされる。彼自身だけではなく、家族についても相当なページ数を割いており、妻とマ・デュークスこと母親の間の冷え切った関係から、彼の遺産をめぐる泥沼ともいえる争いまで書き切っている。美談に仕立て上げることなく描く、ジャーナリスティックな筆致に唸った。

 亡くなったあとにリリースされる作品を聞くたびに「J・ディラはこのリリースを望んでいたのだろうか…」と毎回遠い目になってしまうのだが、本著を読むとその距離感の取り方がわかるようになる。「ディラ・インダストリアル・コンプレクス」とは言い得て妙だ。モヤモヤしている人こそ、実際に何があったのか知ると腹落ちしやすくなるだろう。個人的にはストーンズ・スロウのイーゴンが最も損得勘定なしで動いていて感動した。

 そして、後者のサウンド面に関する解説も、当然興味深い話の連続である。彼が生み出した、クオンタイズされていない、つんのめったようなリズムは、今や日本のポップスにもみられるようなごくごく普遍的なアプローチとなっている。しかし、それがいかに音楽史に残るような大発明だったのかを、体系的に理解できるようになっている。

 特にクオンタイズ機能を使わずに手打ちにしたことでグルーヴを生み出したという誤解はこれだけ広まっているからこそ本著で正されていることには大きな意味がある。彼はミュージシャンでありながら、プログラマーであったということを著者は強調しており、表面的になぞってもわからないサウンドの奥行きや、時間に対す流彼の感覚について独自の図も駆使しながら、楽理的な内容をわかりやすく解説してくれているので、これまで聞いてきた音の解像度が一段上がった。

 著者のアナロジー的描写の数々にもうならされる。特に冒頭でのデトロイトの街の構造や、映画『マトリックス』まで及ぶ「グリッド」に関する描写は見事だし、7インチシングルやドーナツの前振りが終盤で伏線回収していくように、文章の構成も巧み。だからこそ、これだけのページ数にも関わらず、飽きずに読むことができた。評伝と音楽的解説をまだらに配置している点も、彼の来歴とサウンド、機材の進化に焦点を合わせやすい親切設計になっていて助かった。

 J・ディラが残したレガシーが、どのように現在に引き継がれているかについても丁寧に描かれており、単純な懐古にとどまっていない。ロバート・グラスパー、テラス・マーティン、フライング・ロータスなど直系で影響を受けていた面々はもちろんのこと、ハイエイタス・カイヨーテを取り上げている点がフレッシュだった。それはブラックミュージックとしてのレガシーにとどまらず、J・ディラが成し遂げたことが場所も時代も超越していった事実を、彼らの音楽的な背景を紹介することで端的に示しているのだった。

 これだけJ・ディラについての情報をインプットされると、自分とJ・ディラの関係がどうだったか、それを振り返る機会にもなった。私が聞き始めたきっかけは、Rhymesterのラジオ番組『WANTED』のDJ JINのミックスによる影響である。毎週、20分ほどのミックスが披露されていた中で、当時WajeedによるPPPや、Sa-Ra Creative Partnersがヘビロテされており、これらに夢中になったのだった。そして、彼らのサウンドの背景にいるのはJ・ディラだと知るまでそう時間はかからなかった。

 番組放送時期にJ・ディラは亡くなっており、そのタイミングで流れたDJ JINによるトリビュートミックスがデータで残っていた。久しぶりに聞いてみると、当時のDJ JINによるコンテキストを踏まえた選曲にグッときた。プレイリストはこんな感じ。

  1. Welcome 2 Detroit - Jay Dee
  2. Runnin' - The Pharcyde
  3. Let’s Ride - Q Tip
  4. Waltz of a Ghetto Fly - Amp Fiddler
  5. Dollar - Steve Spacek
  6. The Look of Love - Slum Village
  7. Get This Money - Slum Village
  8. Shotgun (Featuring Jay Dee) - PPP
  9. Heat - Common

 Amp Filddlerを入れているあたりにシビれるし、本著でも比較的フォーカスされているSteve Spacek「Dollar」は、この番組で幾度となく流れた、私も大好きなディラワークスの一つである。

 当時は大阪に住んでいて、スーパークロイ、ROOTDOWNという二大ヒップホップパーティーに足繁く通っていた。前者はヒップホップとしてのドープな側面を探求していて、スラム・ヴィレッジの来日公演を開催していた。後者では、DJ JINに通ずるデトロイトにおける音楽のクロスオーバー性にフォーカスしていた。同名のレコードショップは、DJ Dezとレコードもリリースしている。Wajeedがソロで来阪していたこともあり、大阪にこれだけデトロイトの音楽が馴染んでいたことに思いを馳せた。(タイガースの本拠地という共通点!)

 CDやレコードはかなり処分してきたのだが、J・ディラ周りの音楽は自分のベースになっているので、どうしても処分できず、今も手元に残っている。それらをCDやレコードで聞いていると、本著を読んだおかげか、以前とは異なる解像度で音が鳴り響き、とても新鮮なリスニング体験となっている。

 J・ディラの音楽に一度でもやられた人なら、間違いなく楽しめる。評伝としても、音楽書としても、そして一人の人間についての記録としても、これほど濃密な本はなかなかない。まさに一家に一冊の必読本!

0 件のコメント: