2024年7月19日金曜日

私は本屋が好きでした

私は本屋が好きでした あふれるヘイト本、つくって売るまでの舞台裏/永江朗

 古本屋でサルベージした。いわゆるヘイト本がどうして店頭に並び続けるのか、その背景を出版の実態に即して解説してくれており興味深かった。2010年代に最盛期を迎えていた特定の国に対するヘイト本は自分の行動範囲ではほとんど見かけなくなった。一方でネットでは差別的な言説や態度はまだまだ見かけるので、いつまた息を吹き返すかはわからない。

 ヘイト本のサプライチェーンを川下から川上まで網羅的に取材した第一部、その取材結果に応じた著者の見解中心の第二部という二部構成になっている。第一部の取材の充実度が素晴らしい。書店、取次、出版社、編集者、ライターと各人の立場からみたヘイト本の実態を引き出し、どういった受け止め方をされているかの実情を立体的に浮かび上がらせている。(ヘイト本の実際の著者インタビューがないことが悔やまれるが、この内容で取材に応じるわけはないのでしょうがない)ヘイト本が無理やり本屋にねじ込まれて置かれているというより、「選択しない」という選択の連続であり、悪い意味での無関心が生んだ結果として本屋に並んでいることがよくわかった。システマチックな対応になっている現状を変えるにはコストが必要であるが、出版不況や人手不足もあいまってなかなか難しい。そんな間隙を縫うかのようにヘイト本が配本制度によって本屋に陳列されてしまう構造的問題はヘイト本に限らず本屋の今後の行方にも大きな影響を与えていて、セレクト系個人書店が最近の大きなトレンドとなっていることにも影響しているだろう。

 言論のアリーナとしての本屋という論点も興味深かった。両論併記ではないが、特定の事象に対して相反する主張を持つ本を一緒に並べて議論させる。そんな本屋はほとんど見たことないけど、セレクト系個人書店が増えている中では良いアプローチな気がする。ただヘイト本に対してはカウンター本を並べてもヘイトは消えないは留意しておく必要がある。また「ヘイト」という言葉が安売りされているという話は溜飲が下がった。カタカナ日本語になることで単純に「悪口」くらいの意味でインスタントに使われることでヘイト行為自体が軽く見られてしまう現状は間違いなくある。正直ヒップホップ、ゲームでの頻出用語ということもあり容易く使っているので自戒していきたい…

 著者はヘイト本に対して嫌悪の気持ちを抱き本屋に並べないようにするためにどうすればいいか全体を通じて真剣に考えている。規制したほうがいいのか、でも表現の自由はどうなる?といった形で逡巡している姿勢に真摯さを感じた。「ヘイトに対して逡巡してどうするんだ!」と毅然とした態度でNoといえればいいが、良い意味でも悪い意味でも大人になるとそれができなくなる。結論を急がずにさまざまな角度から考察できるからこそ本を読む。そんな初心を思い出させてくれた。

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