2024年3月23日土曜日

続きと始まり

続きと始まり/ 柴崎友香

 既刊を少しずつ大切に読んでいる柴崎友香氏の新刊がリリースされ、Sessionのゲスト回も興味深かったので読んだ。何も起こっていないように見えて、その実すべては変化している社会に対するステイトメントのような小説でめちゃくちゃオモシロかった。そして何度も身につまされる気持ちになった。普段置いてきぼりにしている気持ちや考えがこうやって立体的に小説で立ち上がってくると同じテーマのエッセイなどを読むよりも心に刺さる。見た目は限りなくノンフィクションだが、フィクションの醍醐味が詰まっていた。

 3人の主人公が用意されており、2020年以降の各年月に主人公たちがどのような生活を送っていたのか一冊の詩集を軸にして描かれている。立場、年齢、性別、仕事いずれもバラバラながらもコロナ禍や地震といった共通の災禍を通じて各自の感情のあり方をあぶり出していく。今この瞬間は何かの前で何かの後である。言われてみれば当たり前なのだが、この「何か」に対して「災禍」を当てはめて物語を構築している点がエポックメイキングだ。災害大国である日本ではここ十数年のあいだ、地震、津波、洪水など災害が後をたたない。また特定の場所に依存せず猛威を振るったコロナウイルスもあった。我々は常に「何か」の犠牲者になる可能性があるにも関わらず、自分に関係がないと傍観者になってしまうことが多い。それに伴う自責の念のようなものがたくさん描かれている。生活していれば誰もが他人事ではないと頭では分かっていても行動には移せない歯がゆさの数々は多くの人が理解する感情のはずだ。

 そのとき自分が何をしていたのか、どのような影響を受けたのか。メディアでは大きなトピックが扱われることが多いが、実際には軽微なことを含め皆なんらかの影響を受けており、その距離感について考えさせられる。自分自身は阪神大震災でモロに被災して人生が大きく変化したし東日本大震災のときは直接に被害はなかったものの就活真っ最中だった。こうやって過去の災禍と自分の距離を改めて見つめる作業は「何か」の前を生きる今、必要なことかもしれない。(能登半島地震が起こった後であり、海外では戦争真っ只中なので「前」とは言い切れないのですが、今の自分の肌感としては「前」ということです。)

 ここ数十年で起こった価値観の変化についてもかなり意識的な描写が多い。女性が抑圧される場面の描写があるものの、泣き寝入りせず毅然と対峙していく。また抑圧に対して「相対的にみればマシだ」という一種の処世術に対しても疑問符を投げかけるシーンが多い。本著のフレーズで言えば「恵まれている」と自己暗示のように言い聞かせて現状を飲み込んでいく、その対処療法の繰り返しで我々は結果的に貧しくなってしまったのではないかと言われているようだった。

 辛いことやおかしなことがたくさん起こっているにも関わらず現実はそのまま放置されている無力感をここ数十年味わってきたし、その状況に慣れてしまっている。この無力感を街で生きる市井の人たちの生活の視点から描いていく、その真摯さは正直身に応えた。日々忙しい中だと自分のことで手一杯になることも多いが、外に目を向けて声をあげて具体的な行動をしないと社会は変わっていかない。そして、その責任は大人にあることを自覚する必要がある。そういった意味で婉曲的にWokeな小説とも言える。誰かがやってくれると思っていても社会は好転しない。

 また日常でよく見る場面に対する違和感の表明が各人物から放たれる場面が多く、その塩梅の絶妙さも読者の心をざわつかせる。言い切りの強い言葉による主張や否定はある程度距離を置くことができる。しかし著者は本当にいると読者が感じるような柔らかい物腰の人物像を丁寧に描き読者の心の隙間へスッと入り込んできて心を揺らしてくる。ゆえに短いラインでガツンとくるものも多かった。夫から仕事を休むことを前提に話された妻の以下のラインなど。

「現実やとしても最初から決まってるわけじゃない」

 同世代で育児に比較的積極的に参加している料理人が主人公のエピソードは、属性として重なる部分が多いゆえにグサっとくるものがたくさんあった。ラインとして一番刺さったのはこれ。

貴美子が若い子たちの置かれている状況や子供や弱い立場の人を考えもしない「おじさんたち」を非難するのを聞き、まあまあ、そこまで言わなくても、などと言いつつも頷きたかった。それで、自分もガールズバーに通う男たちや家事や子育てをしない男たちとは違うのだと感じられる。何かを考えた気になって、正しくなりたかった。それで楽をしたかった。

「相対的にみれば大丈夫」と自分をポジショニングして安心感を得ようとしてしまう虚しさ、浅ましさに身に覚えがないといえば嘘になる。「絶対的」な感情の在り方をもっと大切にしないといけない。最近文庫で『百年と一日』がリリースされていたので次はそれを読みたい。

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