2022年12月7日水曜日

あなたの前の彼女だって、むかしはヒョードルだのミルコだの言っていた筈だ

 

あなたの前の彼女だって、むかしはヒョードルだのミルコだの言っていた筈だ/菊地成孔

 第N次格闘技ブームといっていいほど、今格闘技が流行っている。自分自身も例に漏れずその類の1人なんだけど個人的に全く見なかった期間があり、ちょうどその期間に該当する言説に触れることで禊ぎたくて読んだ。外野の意見は聞くにほとんど値しないかもしれないが、これだけアクロバティックに格闘技を語るのは一つの芸だと思うし約500ページの雑談を食い入るように読んだ。

 本著がオモシロいのはプロレスで言うアングル、すなわち見立ての新鮮さにあると思う。リング上で起こった表向きの情報をベースにして、そこから妄想含めて雑談を展開していくのは一級品。著者がここまで格闘技フリークなのは知らなかった。以前に友人と話していた時に出てきた「メタ的偏見」という言葉がぴったり。最近の格闘技は特にリング外での立ち振る舞いに物語を付与しているので「メタ的偏見」が跋扈してより夢中になる仕掛けが用意されている。また自分を含め多くの戦ったことのない人が「戦い」について言及していること自体が格闘技と「メタ的偏見」の相性の良さを物語っている。したがって本著のような形式の格闘技本は今こそ評価されるべきだし、出版されるべきだと感じた。最近、書籍ではなく格闘家のYoutubeやTwitterのハッシュタグでその需要は現在満たされていると思うが、書籍としてまとまった形になることで立ち上がってくる意味があると思っている。

 ただ時代を感じたのは秋山成勲をめぐる話。秋山は在日韓国人4世なのだけど、この辺の話は著者が町山氏に対して見せて炎上した在日差別しぐさにニアミス。当時の秋山はぬるぬる事件で厳しい立場にあったとはいえ際どい話の連発で正直しんどいな…と感じた。この認識だとああいう発言するかという答え合わせにもなった。とはいえ、この案件だけでキャンセルするには惜しいほどにこの本で繰り広げられる格闘技、その先の見立ての話はオモシロい。今の時代を予言しているかのような発言も多い。

テクノロジーによって、「実際に調査している」のか「資料だけ検索して妄想しているのか」の分離が曖昧になってるんですよ。

社会性を重視し、コスパ最高値で全員が生きることこそクールでクレバーなんだっていうことを毎日バラエティ番組で啓蒙してると思うんですよ。

「膠着」という言葉が取り沙汰されるようになりますよね。「膠着がないものがいい」と。つまりポップですが、ポップも無くてはならないものですが、僕は「膠着は退屈だ動け!」というのが嫌で。「とにかくおもしろければいい。早くおもしろくしろ。いますぐ」だけ、という風潮というのは、まあ危険ですよね。

リアルというのは、退屈な時間があって、鈍く痛い時間があって、それでだんだんといい時間が来てというのが、ある種の健全な状態だと思うんですよ。

次にこの手のタイトルの本が出るときはまた格闘技が冬の時代になっているかもしれないが、それでも自分が格闘技を好きでいたい。

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