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| ディアンジェロ《ヴードゥー》がかけたグルーヴの呪文/フェイス・A・ペニック,押野素子 |
ディアンジェロの訃報はかなり応えた。彼自身の音楽が好きだったのはもちろんだが、彼のサウンドに影響を受けた音楽が、自分の嗜好の幹を形づくっているからだ。天才が早逝するのは宿命といえど、彼もその枠に入ってしまったことが本当に悲しい。亡くなってから色んな言説を目にし、耳にしたが、自分が好きだったアーティストに対して、安い言葉や見識でRIPされることが、こんなに辛いのかと初めて知った。そんな汚れた気持ちの中、救いを求めて読んだのが本著だった。繰り返し聞いてきた『Voodoo』がさらに輝き、深みを増す、そのリスニング体験を豊かにしてくれる最高の読書体験だった。
『Voodoo』を中心にディアンジェロの来歴、音楽を紐解いており、著者が女性であることが本著を特別なものにしている。あとがきで木津氏が書いているとおり、収録曲の「Untitled」をジェンダー視点で読み解いている点が新鮮だ。日本において『Voodoo』について語るとき「Untitled」のMVのセクシュアリティについて話すことは皆無だろう。著者自身の個人的な当時のエピソードを交えながら、新たな切り口で『Voodoo』を捉えている本著の象徴的なパートである。そして、このビデオが生み出したパブリックイメージと自身の本来の姿とのギャップに苦しみ、自暴自棄な行動を繰り返すようになってしまったディアンジェロの姿は、ポピュラリティとアートの狭間でもがいていた彼の人間味が最も現れているとも言える。
ジェンダーの観点でいえば、アンジー・ストーンとの関係も印象的だった。彼女も今年亡くなってしまっているわけだが、私生活および音楽制作を縁の下でディアンジェロを支えていた話は、著者が指摘する通り、もっと知られるべきだろう。マーケティングの観点で、アンジーの見た目が「ディアンジェロにふさわしくない」とされ、イベントの同伴が断られた話は2025年の今読むと信じられない。一方で、彼女との間に子どもが産まれたことが『Voodoo』の制作において大きな影響を与えていたこと、「Send It On」「Africa」は、子どもありきの曲だと知っると、また聞こえ方が変わってくる。
制作秘話については枚挙にいとまがない。『Chiken greece』はもともと『Like Water For Chocolate』でコモンが使う予定だったとか、「Devil’s Pie」はプレミアがキャニバス向けに作ったビートだったとか。「Booty」のドラムはギターアンプ、プロセッサーを通した音だったことなど。(「コモンはあのビートで何したらいいか、わかっていない」という言い草に笑った。)そして、『Voodoo』でのディアンジェロの多重ボーカルは、彼のボーカリストとしての力量が並ではないことを示すものだという指摘は、初めて気づかされた魅力だった。
なかでも、エレクトリック・レイディ・スタジオに集結したソウルエクリアンズ周りのアーティストたちは私が最も影響を受けた存在であり、ドラマーを務めたクエストラブを中心とした各メンバーとディアンジェロの当時のエピソードはどれも至極。皆がスタジオに入り浸り、革新的なことを志した結果、そこでケミストリーが起こっていたことがわかるし、本著を読んでから当時のアルバム群を聞くと、より一層豊かな音楽体験をもたらすこと請け合いだ。以下のラインはそのことを端的に表現している。
一部の人々には散漫で規律がないと考えられていた作品は、今という瞬間を大切にし、ディアンジェロと仲間たちをインスパイアしたR&B、ジャズ、ヒップホップのパイオニアのスピリットを受け入れるという、意図的な試みだった。
また、エンジニアがこれだけフォーカスされる作品もなかなかないだろう。ボブ・パワーが下地を作り、エレヴァド・ラッセルが『Voodoo』で花開いたアナログに対する徹底したこだわり。2025年の今でも、すべてアナログで制作することは驚異的だと感じるが、当時もちょうどアナログからデジタルへの過渡期。そのタイミングでも、「DとE」はアナログを貫き、唯一無二のサウンドプロダクションを実現したことは奇跡としか言いようがない。終盤で言及されているとおり、DAWの普及で、誰もが音楽を作ることができるようになったことは歓迎すべきことだ。しかし、熟練の演奏者がスタジオで何年もジャムし続けてアルバムを作るという予算をかけた制作法は、ハイパー資本主義の社会において選択肢にも上がらないだろう。テクノロジーの発展が音楽の発展に寄与していることは間違いないのだが、それと同時に切り捨ててしまっているものがある。『Voodoo』はそんな文明論まで感じさせてくれるアルバムなのだ。
95年の来日同行記を加筆修正した訳者あとがきも貴重だ。「ディアンジェロと日本」という観点であり、翻訳版ならではの内容となっている。来日時の日本での彼の立ち振る舞いで印象的だったのは、自分が出演したコンベンションで遭遇するミュージシャンに対して、知り合いかどうか問わず見かけるたびに挨拶していたというエピソード。しかも、それは日本人のミュージシャンに対しても同様に挨拶していたというのは驚きつつも、彼の音楽に対する真摯な姿勢からすれば納得できる話だ。
今まで幾度となく聞いてきたアルバムが、背景を知ることでさらに豊かに響く。ビハインド・ザ・ストーリーの重要性は、ストリーミングサービス普及の結果、光速で新譜が消費されていく今こそ顧みられるべきだ。私も新譜チェックは大好きだが、ときには立ち止まって、この音楽が何を意味し、自分にどんな感情を抱かせるのか考えたい。そんなときに、こういった書籍の存在はなにものにも変え難い。ネットでいくらでも情報は取れるが、体系的に整理されていることの価値を改めて痛感した。
やりきれない気持ちの中でも、最終的に救ってくれたのはやはりディアンジェロの音楽、そして彼にインスパイアされた音楽だった。Soulectionのトリビュートミックスはディアンジェロのレガシーを多角的に表現した、本当にリスペクトに溢れた内容だったので、ぜひ聞いてみてほしい。また、長い間沈黙を貫いていたクエストラブによる追悼文も日本語版で出ているので、そちらもマストチェック。改めてディアンジェロの冥福を祈ります。合掌。







