2022年3月26日土曜日

アマゾンの倉庫で絶望し、ウーバーの車で発狂した

 

アマゾンの倉庫で絶望し、ウーバーの車で発狂した/ジェームズ・ブラッドワース 

 高橋源一郎の新刊で紹介されていたらしく、その宣伝で見たこのラノベのようなタイトルに惹かれて読んだ。イギリス出身の著者が実際の労働現場に潜入取材して表面上では分からない実態を深堀していてとても興味深かった。

 冒頭にエクスキューズが用意されており、中流階級で実際に貧しい環境にいるわけではない著者が潜入取材する意味が語られている。本来であれば当事者の言葉で語られるべきだが、彼・彼女らにはそんな余裕はない。だからこそ自分が最前線に立ち、格差で分断され見えなくなってしまった社会の現状を伝える必要性を訴えていた。語り手が単純な興味本位で覗いただけ、ちょっとしたバズ狙いなどではないことが説明されていて読者としてモヤる部分は減った。

 タイトルにあるアマゾン、ウーバーは大手のテック企業であり何となく企業倫理もちゃんとしているだろうと思いきやテクノロジーを媒介とした搾取システムがそこにはある。難しいのは多くの人がそのテクノロジーの恩恵を受けて今までより便利な生活を手に入れているため、一概に否定できないところ。また雇用を産んでいることも事実。ただしその雇用の中身があまりにも残酷すぎることを生々しい筆致で本著は読者にレポートしてくれている。アマゾンのピッカーの仕事は映画「ノマド」でも描かれていたが、現実はもっとハードだった。日本でも技能実習生制度で海外からの労働者を酷使しているがイギリスでも同様の状況は存在する。本著内の言い方を借りれば「弱い人の時間を盗む」といったところ。結局資本主義の蔓延による国家間の格差が過酷な状況を生んでいるのだなと思った。社会的弱者(イギリスの場合は移民)の立場を利用して利益を得る。そしてその人たちが団結しないように孤立させておく。こういう環境がシステマティックに用意されていることが怖いなと思う。

 この本の優れているところはテック企業による新しい仕事と介護・コールセンターのような昔からの仕事を対比させている点だと思う。前者ではテクノロジーが支配する過酷さ、人間味のない非情さがある一方で、後者は人間が介在することによる感情労働の辛さがある。テクノロジーは公平だというイメージを持ちがちだが、企業の利益を最大化する前提での「公平」なんだという当たり前の事実を改めて気付かされた。これは2つの対比があるからこそ余計に伝わってきた。無邪気に使っているサービス、製品が搾取で成り立っていることが増える世の中で自分が何をできるのか考えなければならないと心底思う1冊だった。

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