2024年9月15日日曜日

その日暮らし

その日暮らし/坂口恭平

 信頼のpalmbooksから坂口恭平の本が出るとなれば読むしかない!ということで読んだ。超素敵な装丁からも伝わってくるとおり、これまで読んだ著者の作品の中で最も柔らかいタッチだった。無理のない範囲で自分の手を動かし、鬱とストラグルしながら、それでも前に進んでいく生き様は多くの人にとって支えになるに違いない。

 今回は利他性に関する話が多く、「いかにコストパフォーマンス高く生きることができるか?」といった利己性が支配的な社会において、彼の視座は新鮮に響く。誰かのために動くことが結果的に自分の身を助けることになる。口で言うのは簡単だけども、著者の場合は高い実行力で、それを体現している点が並の人間力ではない。

 著作をこれまで読んでいる身からすると、彼の考え方は何も変わっていないことがわかるはずだ。その一方で周りは変化しており、特に子どもたちの成長が大きくフィーチャーされている。娘と息子、それぞれが確固たる自我を形成している様子が垣間見れる。それは世間が決める「子どもはこうあるべき」から逸脱しているかもしれない。しかし、彼らは自分の好きなように、思うがままに生きている。だからこそ、鬱になった著者に対して優しい気持ちを見せることができて、大人が思ってもみない言葉が出てくるのだろう。「育児に正解はない」と言われるものの、実際に育児をしていると「こうあるべき」という社会の規範から逃れるのは本当に難しいことだ。当然、最低限のマナーが必要であるものの、今の時代はルールでがんじがらめになることも多い。著者がずっと提示している「好きなことをとにかく突き詰めろ!」を彼以外の人間が実践している様を見ると、彼が特別な訳ではないことの証左とも言えるだろう。

 本著は新聞連載をまとめた一冊であるが、後半は連載中に訪れた長い鬱に関する体験記の様相を呈している。そして、書き下ろしのあとがきが自身の躁鬱に対する考察で新境地に至っている。鬱状態の際、自己否定する理由を深堀りする中で、その大元の原因は寂しさだろうと結論づけていた。しかし、本人の記憶の限りで幼少期や青年期に寂しいと感じた記憶はない。「じゃあ、いつ?」となって、「胎児の頃に違いない」と結論づけられる点が著者ならではの視点だ。自身も言及しているとおり、半分小説のテンションで書かれているが、その仔細さに書き手としての底力を感じた。そして、結論として「自分を信じること」の重要性が説かれている。本屋で平積みされている自己啓発本から「自分を信じろ!」と言われても一ミリも心は動かないが、著者が苦しんだ過程を共有してくれているからこそ、この言葉の説得力が増す。毎回著者の作品を読むたびに、冒頭に述べた利他性を含め、何事も結論ではなく重要なのは過程だと思い知るのであった。

2024年9月11日水曜日

たのしむ知識 菊地成孔と大谷能生の雑な教養

たのしむ知識 菊地成孔と大谷能生の雑な教養

 菊地成孔成分を定期的に摂取するべく新刊を読んだ。盟友大谷氏との雑談がてんこ盛りに入った一冊であっという間に読み終えた。批評ほどのハードさはなくとも、何かを見立てることのオモシロさに改めて気付かされた。そして過去最大級に二人がパーソナルなことについて語っている点も興味深かった。

 本著と同じような雑談本をテーマに据えて、二人が対談するという形式となっている。本について語り合うのではなく、そこを起点としてひたすら二人が思いつくままに話し倒している。その雑多さが心地よくオモシロい。タイトルにもなっているとおり「雑」はテーマと言える。ネット上でエビデンスのない「雑」な発言が跋扈する一方で、それを抑制するように裏打ちのない「雑」なことは迂闊に言えない空気も同時に蔓延している、そんな最近のムードに抗うようにバイブス満タンのフリートークがたくさん収録されている。そこで大事なのは、正しさではなく二人が放つ見立ての数々がいかにオモシロいかだ。個人的に一番納得したのは映画に対する解離性の話だった。菊地氏はそれを「アイス」と呼んでいて、家族の団欒で映画見ているとき、父親だけが話についていけず家族にうざがられる。そして一人でアイスをなめる速度が速くなる。つまり、話についていけず、画面からの情報に対して解離を起こしてしまう。コロナ禍以降、映画が全然見れなくなっているのだけど、「解離」というワードはまさしくそのとおりだと感じた。集中力がもたず、情報についていく気が失せてしまう。しかし、本著の中で語られている映画の話をたくさん読んだことで、映画に対するモチベーションが戻ったような気がするので、少しずつリハビリしていきたい。

 本当にいろんな話が載っている中、全体を通底するのは坂本龍一の不在だ。二人ともジャズやポップスについてよく話しているが、一見して影響の見えない坂本龍一が残したレガシーの大きさが伝わってくる。それはわかりやすい正史ではなく、アカデミズムとの接続やパーソナルな体験の話が中心で、こういう話を読める媒体がどんどん無くなっていることに気付かされる。当然、Youtubeやポッドキャストが雑誌的なものの代替メディアとして存在していることは理解しているが、活字中毒者としてはこういった文字媒体は、いつまでも失われずに残っていくからこそ大事だと思う。(ネットはいつか消えてしまうのが世の常。)

 また本著の特徴として語り下ろしにも関わらず、各チャプターでページの構成が異なる。これはおそらく話のタネとなる対談本のページ構成をサンプリングしているのだろう。同じ本なのに段組みが違うページがあるのは斬新だった。本著に至る『アフロディズニー』がまだ読めていないので、次はそちらを読みたい。

2024年9月10日火曜日

2024/08 IN MY LIFE Mixtape

 


 夏なので、やはり夏を意識した音楽を選んでしまう8月だった。とにかく最近はUS、UKを中心にR&B新譜のどれもがクオリティ鬼高くて、一枚聞き始めると無限リピートしてることがよくある。プレイリスト時代対応型というか、アルバムの中でいろんなムードの曲をきっちり盛り込みつつ、流れも素晴らしい、みたいなアルバムばっかり。そんなこんなで旧譜との接点はますます失われていくなーと思う。ジャケットは子どもが作ったぶどうみたいな液。



2024年9月4日水曜日

PATSATSHIT

PATSATSHIT/DJ PATSAT

 以前から日記が話題になっていて、なかなか手に入らないなと思っていたら、神戸の1003へ行った際に本著を見つけたので読んだ。小さい文字が上から下までびっちり埋まっていて活字中毒者としてはぶち上がったし、ストリートの逸話は出身地が近いこともあり楽しんで読めた。

 日付のない日記という形式のエッセイと対談の二部構成となっている。著者は東淀川にて中古自転車屋を商いつつ文章をインディペンデントな形で発表しており、その矜持が前半の日記ではたっぷりと味わえる。長いものに巻かれたがっているやつが多すぎる、それよりも自分の手の届く範囲でかませよ!といった冒頭のステイトメントからしてアツい。熱量そのままにエッセイにも強い主張や論考がたくさん詰め込まれていて興味深かった。思考を止めて流されていくのではなく世の中のムードに対して毅然とものを言っていく、その姿勢に読んでいるあいだは背筋がピッとなった。

 学生の頃まで近いエリアに住んでいて、子供の頃はそれなりに色々見てきたつもりだが、大阪のローカルエリア独特のバイヴスは2024年の今でも健在のようで昔をレミニス。レゲエの兄さんと警察のエピソードはヒップホップ好きとしては捨てがたいが、個人的には自転車の鍵を何度も無くす人のエピソードがハイライト。(タイトルも最高。Stevie Wonder!)合理的に考えれば、ありえない振る舞いかもしれないけれど、これぞ人間という気がする。そんな彼に対して著者が過剰に寄り添うでもなく、突き放すでもない、絶妙な距離感で接している点が好きだった。今の時代であれば寄り添うことが100%の正解にされてしまいそうだけれど、人間の関係性は微妙なバランスで成り立っていることを思い出せてくれる。

 後半は対談集で、こちらも一筋縄ではいかない曲者揃い。各人のキャラクターが濃厚に出ていてオモシロかった。世に知られてない人で、これだけオモシロい人がゴロゴロいるという点では最近のポッドキャストシーンを想起させる。表現に対する各人のスタンスが言語化されており、市井の人にとっての表現のあり方を知ることできる。特に小説という「嘘」に対する見解をあーでもない、こーでもないと捏ねるように話している点が興味深かった。日記やエッセイのような事実ベースよりも、小説の方が己が滲み出るのでは?という話は考えてもみない論点だった。

 最近はZINEを作ることを考える日々なので、著者のインディペンデントに対する矜持を胸に留めつつ無理のない範囲で取り組みたい。そして著者が『呪術廻戦』を中心に近年のジャンプ漫画を激賞していたので、Kindleで積読していた『チェンソーマン』を読み始めたら超絶オモシロくて最&高。