こんな大人になりました/長島有里枝 |
以前から何度か名前を見かけて気になっていた著者の作品をサルベージしたので読んだ。10年分のエッセイが1冊にまとまっているという、あまり見たことがないスタイル。10年というタイムスケールから見えてくる家族との関係性、世間の空気など、変化していく様を共に振り返るような読書体験だった。
写真家が本業である著者の連載エッセイを10年分まとめたものになっている。1年ごとに十数個のエッセイが書かれており、見開き1ページでちょうど1チャプターとなっている。そのため隙間時間でパッと1章だけ読むといったことができたので、育児しながらの読書としては最適だった。ただ短いとはいえ、各エピソードはソリッドな文体でストレートに感情が発露しているので、かなり読み応えがある。テーマは家族、仕事、フェミニズムなど本当に多岐にわたっていて、それらが時間の経過と共に移り変わっていく経時変化の記録が本著の最大の魅力だ。
その点で一番わかりやすいのはフェミニズムに関する内容だろう。本著は2012年から始まるが、その時点で育児を含めた女性に対する社会構造としての負荷の大きさについて、フェミニズムの観点から異議を申し立てしている。時が経つと共に、社会のムードとしてフェミニズムが重要視されていく中、著者も読書などを通じて、新たな視座が発生していく過程が興味深い。一番ギクっとしたのは「男だけのフェミニズム語りにイライラする」という話。「そもそも主体性を取り戻す話なのに、なぜ語るのが搾取している側なんだ?」というのはもっともだ。自分自身、パートナーとはそういった話をたまにする程度、職場の同僚、友人の女性とこの手の話をすることはない。フェミニズムに関する本は「男性」という自分の属性が攻め立てられる気持ちになるので、得意だとは正直言い難い。しかし、著者の主張は、比較的胸にスッと入ってきた。理由を考えてみると、本著では「パンク」という言葉が何度も登場するのだが、それは自分にとって「ヒップホップ」と置き換え可能な言葉であり、社会に対する反抗という切り口でフェミニズムが発揮されているからなのかもしれない。
また、良い意味で「感情的」な物言いというのも影響しているだろう。著者が指摘しているとおり、現代社会において「感情的」はネガティブな捉えられ方され、「理性的」であることをさまざまな場面で求められる。しかし「本当にそれでいいのか?」と問い直している。下記に限らず、全体にわたってパンチラインだらけで、いつのまにか付箋をたくさん貼っていた。
感情を「マネジメント」すべき、という無言の圧力は、生活のあらゆる場面でますます感じるようになった。むやみに感情的に振る舞えば、SNSなどで社会的に「処刑」されることだってある。その背景には、感情が個人の内側から発露するものである以上、そのコントロールは発動者の自己責任のもとで行われるべきだ、という新自由主義的な考え方がある気がする。
家族の在り方も多くの章で語られるメインテーマである。シングルマザーだった彼女が一人で育児を奮闘しているところから、未婚のままパートナーとの同棲が始まり、両親との関係性、息子の成長といった多くのファクターにより家族の在り方が変化していく。大人の十年と、子どもの十年が異なることは自明だが、選挙権を持ち、政治について語るまで成長している、という具体的な描写を伴って、子どもが大人になる様を読むと時間の重みを感じた。そして家族の悩みは誰にとっても他人事ではないのだなと両親との関係性に関する考察を通じて勉強になった。自分ごとになると、なかなかここまでの客観性をもって家族を捉えることが難しい。他の著作は、本著に登場した各テーマをそれぞれ深掘りしているようなので、追って読んでいきたい。