2024年8月1日木曜日

ニーナ・シモンのガム

ニーナ・シモンのガム/ウォーレン・エリス

 先週帰省したタイミングで子どもが好きなミッフィーのカフェが神戸にあり、そこへ寄った帰りに1003という本屋で見かけて惹かれるように購入して読んだ。所有の概念をパーソナルなエピソードと共に語ってくれているフォトエッセイで最高に素晴らしかった…モノに対する個人の思いや記憶が他人に伝播していく、そのフローの尊さをこれだけ感じることもなかなかない。(一番近い感覚はミランダ・ジュライの『あなたを選んでくれるもの』)もっとたくさんの人に読まれて、このガムにまつわるストーリーが広まってほしい。

 著者のウォーレン・エリスはミュージシャン。彼が1999年のニーナ・シモンのコンサートを見た際、彼女がピアノにくっつけたガムをそのまま持って帰ったことから話が転がり始める。日本ではやくみつるが同じように有名人の接触物を集めていたが、そのクリーピーさとは全く別ベクトルでどんどんと崇高なものへと昇華していく過程が興味深かった。ニーナ・シモンがどれだけ偉大なミュージシャンかわからなければ、それは単に妙齢の女性が吐いたガムでしかない。しかし、1999年の彼女のライブで圧倒的音楽体験を得た彼にとっては、その記憶が圧縮された、しかも本人のDNAが刻み込まれている代物なんだからたまらない。一番オモシロいのは当人が大事にしている気持ちが伝播していき最終的に美術館での展示という社会でも一二を争うほど大切に扱われる環境にまでリーチしてしまうところ。本著内ではキリスト教における十字架が例に挙げられていたが、個人もしくは特定の集団の気持ちが共有され社会に認知されて広まっていく、モノに対する信仰をこんなにわかりやすく表現している例を知らない。

 実際の美術館サイドとのやりとりや展示までの過程が細かく描かれており課題を一つ一つクリアしていく点もオモシロかった。特にガムの存在の不確かさに怯えるかのように美術館サイドがビクビク管理している様が愉快だった。確かに噛んだガムなんて、いくら厳重に保管していてもあっさりと無くなりそう。

 オリジナルのガムをどんどん複製していく過程も興味深かった。1999年から2013年までタオルに包まれてタワレコの黄色のビニール袋(懐かしすぎる!!)に入っていたガムをそのタオルから取り外して型を取っていくのだが、そのスリリングさがひしひしと伝わってきた。一方で一度鋳型が取られたあとはガムの形状がさまざまな材質で複製されていく。このギャップもモノのあり方について考えさせるもので複製できて誰でも手にいれるようになったときに、その価値はどうなるのか。本著を読むとガムの形状の指輪やペンダントが欲しくなるのは間違いないのだが、著者は不必要なまでの複製は行わないことを自戒していた。個人的には複製物だとしても、いつ、どこで手に入れたかというモノへの記憶は大切にしたいと思っている。冒頭に本著をどのような状況で入手したか書いたのはそういった意図がある。本やレコードは一つ一つにそういった記憶が染み付くことが多い。

 誰でも、どこでも、いつでも。今のさまざまなモノやサービスのキーワードになりつつあるけれど、だからこそアーカイブされないパーソナルでスペシャルな体験を大切にしたいと思わされる一冊だった。

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