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完本 1976年のアントニオ猪木/柳澤健 |
本著をもって「〇〇年の〇〇」というフォーマットを生み出した著者によるアントニオ猪木の評伝。ずっと気になっていた作家で、先日読んだ水道橋博士の書評集『本業2024』で多数の著作が紹介されていたことをきっかけに読んだ。プロレス好きだった幼少期、父が録画していた『ワールドプロレスリング』を放課後に毎週のように見ていた身としては、自分のプロレス観を更新するような、極上の調査ドキュメンタリーだった。
1976年に猪木は異種格闘技戦として三試合戦っており、そこにフォーカスしながら「アントニオ猪木」という存在を描いている。猪木に対して持つイメージは、プロレスや格闘技に対する見識の有無で大きく変わってくるだろう。何も知らない人からすれば「バラエティでよくモノマネされるプロレスラー」「ダーッといいながらビンタする人」くらいだろうか。しかし、2000年代までのプロレスおよび総合格闘技黎明期における猪木の存在は“神”と呼んでも過言ではないほど絶対的だった。子どもの頃は、VTRで見る昔の猪木、たまに現場に降臨するだけの猪木の凄さが理解できていなかったのだが、本著を読むと、猪木がいかに超規格外の人間であり、泥水をすすりながら這い上がってきた人であるかをようやく理解することができた。
そもそも、なぜ猪木が「異種格闘技戦」に挑まなければならなかったのか、その背景も驚きの連続だった。そこに立ちはだかっていたのは、ライバル・ジャイアント馬場である。馬場は体格に恵まれていただけでなく、NWAというプロレス団体の権威を巧みに利用するビジネスマンでもあり、猪木をプロレス界から締め出そうとしていた。それに抗う唯一の手段が、本当の強さを証明する「リアルファイト」での勝利という展開は、極めてヒップホップ的だ。私が当時、ノアや全日ではなく、新日本プロレスが一番好きだった理由も「Keep it real」をどこまでも追い求める姿勢に共鳴していたからかもしれない。
1976年に行われた異種格闘技戦のうち、最も有名な試合はモハメド・アリとの戦いだろう。ボクシングの現役チャンピオンとプロレスラーがショーではなく、ガチで試合をする。今の時代には到底実現できないだろう超弩級のビッグマッチの裏側を精緻に描いている。今でもストライカーちグラップラーの膠着状態は「猪木-アリ状態」と呼ばれており、この試合は現在の総合格闘技までに繋がる重要な試合である。映像で断片的に見たことがあったが、その解像度が十倍くらい高まって相当オモシロかった。特にアリ側の取材が充実しており、彼のトラッシュトークが実はプロレス由来であったこと、また来日してからブックのないリアルファイトだと知らされたが逃げなかったという逸話には胸を打たれた。やはりアリは偉大なファイターなのであった。
残りの異種格闘技戦についても濃密に描かれている。猪木が韓国でリアルファイトをけしかける横暴な振る舞いをしていたなんて知らなかったし、さまざまな相手に対して、リアルファイトを仕掛けてきた猪木が、逆にパキスタンでハメられてリアルファイトをけしかけられる展開は、まさしく因果応報である。そして、そこで躊躇なく勝ってしまうのも猪木らしいのだが…
本著を読むまでは猪木に対して一種の幻想を抱いていたのだが、読み進める中で瓦解していった。掴みどころのなさは意図的に作られたもので、合法と不法、リアルとフェイク(インチキ)の境界を極めて曖昧にしてしまう「天性のプロレス能力をもった男」といえば聞こえはいいが、ときとして、その振る舞いは自己中心的でセコくもある。特に後半にかけて新日本プロレスを私物化していく流れは、ちょうど自分が新日本プロレスを見ていた時期に重なるので、子どもの頃には理解できなかった数々の出来事(武藤の全日移籍とか)が色々と腑に落ちたのであった。とはいえ、その傍若無人な振る舞いの数々が、歴史を動かす原動力であることは間違いなく、日本が今なおプロレス、MMAの格闘技大国となっている現状は、猪木なしには考えられない。ゆえに多くの人が神格化するのだろう。
終盤にはUWFから総合格闘技に繋がる流れまで描かれている。その流れを踏まえて猪木-アリ戦について「双方の技術不足であった」と分析する視点も新鮮だった。また、現在のRIZINまでに繋がる日本の総合格闘技の勃興については『2000年の桜庭和志』『1984年のUWF』でより詳細を知ることができると思うので今から読むのが楽しみだ。
本著を特別な一冊たらしめているのは、著者の圧倒的な構成力と表現力である。豊富な情報をドラマとして語る構成の妙、そして何より言葉の力がすごい。一番打ち震えたラインを引用しておく。レスト・イン・ピース、アントニオ猪木。
ふたりの動きが止まった。表情は見えない。音も聞こえない。見えるのは猪木のブリッジが作り出す美しいフォルムだけだ。「建築とは凍れる音楽である」と言ったフリードリッヒ・シュレーゲルに倣えば、この時のジャーマン・スープレックス・ホールドは、正に凍れるプロレスであった。