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パパは神様じゃない/小林信彦 |
タイトルに惹かれて古書店でサルベージした。2025年の視点で見ると、およそ育児エッセイとはいえない、粒度の荒い子育ての話だった。1970年代の雰囲気を知る上では格好の内容であり、オイルショックによるインフレ、物価高に苦しむ様は今の状況とシンクロする部分があり、経済で苦しむ点においては何も変わらないのかと暗澹たる気持ちになった。
本著は、下の子が生まれてから一歳半になるまでの期間に書かれたエッセイである。著者の日常の話があり、そこに子どもたちの話が加わるという構成となっている。育児エッセイというよりも「赤ちゃんがいる物書きの日常」といった側面が強い。
冒頭、赤ちゃんの出産前後の描写があるが、エッセイとして最高においしい部分を丸ごと書いていない。なぜなら、赤ちゃんの誕生を手放しで喜ぶことにてらいがあるから。この認識のギャップからして、男性の育児に対する当時のスタンスが伺える。しかも、その後に仕事とプライベートを兼ねて、家族を日本に残し、約50日間海外で過ごし、最後にはハワイで過ごす様子まで描かれており、さすがにビックリした。今の時代なら妻がSNSに爆ギレポストして大バズりしそう。そんなスタンスの著者にとって、松田道雄『育児の百科』『スポック博士の育児書』がバイブルであり、ネットがない頃はこういった書籍が、最初に接触する信頼できる情報源だった事実に改めて気付かされた。
そんな著者は「男性が育児において参加できることは何もない」という前提なので、基本的に「私は何もできないのだ」という話に終始している。それがタイトルに通じており、私は神様ではないので、祈ることしかできない、というもの。しかし、そんなものは欺瞞であり、仕事や自分の時間を充実させたいだけなのだが、言い訳せずにそのまま書いている点は潔い。つまり、横やりしてくる存在として赤子を捉えていた。そんな中で、たまに現代でも通用するような視点もあり、以下のラインは著者に比べて育児に参加している身からしても、まさに!と思ったのであった。心配だけするくせに自分の手を動かしてないことがよくあるので自戒したい。
父親が感じる<心の痛み>などというのは、いいかげんなものであり、母親の事務的処理の方が、おおむね、正しいのである。
文庫あとがきは、なんと当時赤ちゃんだった下の娘が担当している。文庫化は91年で大学生になったばかりの彼女が、著者との暮らしについて素朴に綴っている。「作家は気難しい」を地でいくエピソードに昭和を感じた。約半世紀経った今、これだけギャップを感じるということは2075年ごろの育児に対する男性の価値観は今と大きく変わっているかもと思えば、未来は暗くないのかもしれない。
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