2025年3月18日火曜日

戻れないけど、生きるのだ 男らしさのゆくえ

戻れないけど、生きるのだ 男らしさのゆくえ/清田隆之

 植本さんがおすすめしてくれていたので読んだ。古今東西のコンテンツをジェンダーの切り口で見つめ直していくエッセイ集で興味深かった。本、ドラマなどのガイドとしても参考になるし、既に見たり、読んだ作品は改めて著者の視点を意識してみたいと思わされた。

 本著はコンテンツを通じたジェンダー論がメインテーマにあるわけだが、なかでも文学、ドラマ批評が興味深く、特にそれがテーマとして前景化していない作品について、著者の見立てが発揮されていて読み応えがあった。自分では手に取らないだろうなと思う作品の数々も、ジェンダーという切り口によって見通すことのできる景色の広さに驚いた。

 古臭いジェンダー観を更新するようなコンテンツに感動する様を描きながら、その度に自戒している点が特徴的だ。それは日本社会で特権を持つ男性という属性を持ちながら、安易にフリーライドしてしまうことを避けるため。確かに、苦しみをもたらす社会構造の一端を担っている人間が横からやってきて「感動しました!」と無邪気に発言している危うさは著者が指摘する通りだろう。

 ただ「俺たち」という主語を用いて男性全体をいっしょくたに議論する点が、この手の本を読むときに毎回しっくりこない。「ジェンダー、フェミニズムに理解があるか/ないか」のゼロイチではなく、各人それぞれグラデーションがある中で、急に首根っこを掴まれて逐一確認されるような気持ちになるからだ。個人の体験や考えに終始しているだけでは社会が変わっていかないという認識はありつつ、個人から全体へ派生、言及していく難しさはジェンダー論においては常につきまとう。自分自身のジェンダー観は保守的ではないと思っているものの、他人から指摘されるとウッとなるし、逆に指摘する側も、保守的な場面が間違いなく存在する。このように誰もが完璧ではいられないことに著者は意識的であり、ヒット&アウェイで語っている姿勢が真摯に映った。

 後半にかけてはジェンダーから拡張していき、恥、生産性、家父長制、お悩み相談などより広いトピックが取り扱われており、著者の具体的な情報が詳らかにされていた。育児中の身としては、生産性と育児について言語化された内容に首がもげるほど頷いたのであった。常に最適化を追い求めて日々仕事を回しているわけだが、こと育児においてもついついその進め方を導入してしまう。結果的に目の前にいる生身の子どもと向き合っておらず、特定のタスクとして対処してしまっているケースはよくある。また、男性が「ケアの育児」ではなく「刺激の育児」に偏りがちという指摘も膝を打った。

 苦手ながらもジェンダー、フェミニズムの本を進んで読んでいる背景には、娘が誕生したことによって、どこか他人事だった性別格差が以前よりも自分の身に迫ってきたことも大きい。当然、自分と娘は別人格であるが、彼女のことを考えると、男性の特権性が少なからず見えてくる。なので、自分の子どもが少しでも生きやすい社会を目指したい気持ちがある。本著のタイトルに寄せれば「抽象的な今(自分)ではなく、具体的な未来(娘)に生きるのだ」とでも言えようか。先日見た映画『怪物』はそれの最たるもので、今ある問題を私たちの世代で対処し、次世代が生きやすい社会にする意味に気付かされた。そして、これほど腹落ちした経験はなく、やはり著者が繰り返し主張する、心が動かされることの必要性について実感を伴って理解できた。

 性格上「俺たち」という形で肩を組むブラザーフッドは得意ではないが、特定の誰かのためであれば具体的な行動へコミットできるから、各人が何らかの形で当事者性を持つ場面が増え、「永遠の微調整」を繰り返すことで社会が少しずつ変わっていけばいいなと感じた。

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