![]() |
消息/小袋成彬 |
今年初めにリリースされたアルバムの革新性に驚いたのも束の間、さいたま市長選への立候補と、著者には立て続けに驚かされている。そんな著者の初めての書籍ということで読んだ。これまでSNS上でたびたび物議をかもす言動が垣間見えていた中で、まとまったエッセイという形で彼の思考に触れたことで、今までと印象は変わった。
2019〜2024年にQuick Japanで連載していたエッセイをまとめた一冊。コロナ禍前後、ロンドン移住後という背景もあり、内省的な視点と、対外的に見た日本、ワールドワイドな視点の両軸から物事を考えている様がうかがえる。とりわけ後者は「海外移住によるナショナリズムの再発見」というありがちな側面が強いわけだが、著者の場合、本業の音楽で見事に昇華している点が凡百の移住者と異なる。新作『ZATTO』は、近年世界的なトレンドになっている往年の日本のソウルやシティポップをリバースエンジニアリングするかのように、ロンドンのスタジオミュージシャンを起用し、2020年代のサウンドとして生音オンリーで作り上げたものだ。「日本を対外的な視点で捉えて音楽をつくる」という観点で、これだけかっこいいものは今後なかなか出てこないだろう。本著は、その背景にある思想や視点を知る上でも重要な一冊だと感じた。
収録されたエッセイの中には、noteに掲載され話題を呼んだ「新時代」も含まれており、基本的にこのバイブスが本著を貫いている。この記事について、エイジズムで分断を煽るものとして批判的な気持ちを抱く人もいるかもしれない。しかし、個人的には納得する部分があり、今回のさいたま市長選出馬にあたってのマニフェストは、さいたま市民としては相当フィールする部分があった。現状の政治において、若年層に向けた施策を謳いながらも、シルバー民主主義が根深く、リソースの配分や施策の優先順位に絶望的な気持ちになることが少なくない。それはさいたま市に限らず、日本各地の自治体に共通する課題だろう。ゆえに、今回の市長選がひとつの試金石になることを期待している。
文体は、まえがき、あとがき以外は「ですます体」で書かれているので、全体的に丁寧でややかしこまった印象を受ける。内容的にもリベラルな視点が貫かれており、過去のSNSでの印象とはギャップを感じる人も多いだろう。その「ですます体」で綺麗に均された文章の息抜きとして、イラスト、写真、本人の手書きのコメントが掲載されている。そのうち各年の主要な出来事について、手書きでコメントが書かれているのだが、その内容と本文のギャップに戸惑った。
たとえば「イギリス政府のコロナ対応は日本政府に比べて迅速で的確だったと思う。人はたくさん亡くなったけど」と書かれているのだが、「人がたくさん亡くなったのに何が的確なのか?」と疑問を抱かざるを得ない。ウィル・スミスがグラミー賞で平手打ちした件について「俺はかっこいいと思った」と書かれると、繰り返し唱えている非暴力主義と整合性がないように映る。「ハラキリ」というエッセイでは、日本の死刑制度から謝罪カルチャーまでを語っているわけだが、その挿絵として首が飛んだ侍の絵が描かれている。こういった言語化しづらい倫理観の危うさと、ある種の「正しさ」を繰り返し主張する姿、一体どちらが「本当の著者」なのかは正直わからない。そもそもアーティストに対して「正しさ」を要求すること自体、お門違いであり、矛盾を内包しているからこそ惹かれるという側面もある。しかし、今の時代に政治家という公の立場を志すのであれば、言葉の整合性や説明責任は無視できない要素だ。口では博愛主義的なことをいくらでも言えるかもしれないが、少しのほころびにいつか足元をすくわれてしまう可能性があるからだ。
ここまで批判めいたことを書いたが、あとがきにおける「日本と海外のギャップ」に関する考察は興味深かった。文化的な違いを乗り越え、日本がポジティブな方向にむかってほしい気持ちは同じなので、今回の選挙選を通じて、これまでにない景色を見せてくれることを期待したい。
0 件のコメント:
コメントを投稿