2025年4月17日木曜日

なぜ人は自分を責めてしまうのか

なぜ人は自分を責めてしまうのか/信田さよ子

 植本さんのおすすめで読んだ。心理学の視点から語られる親子関係、なかでも母と娘の関係に関する考察は新鮮だった。

 本著はオンラインセミナーの講義を書き起こしたものとなっている。難しい内容も含まれているが、講義の語り口そのままで書かれているため、非常に読みやすい。一方で、話が展開していくうちに少しずつ焦点がぼやけてしまい「あれ、今何の話だったっけ?」と感じる瞬間もあった。しかし、話の流れを簡潔にラップアップする一言が各ページに挿入されていて、読者がついていきやすいように配慮されていたので助かった。

 多くのページを割いて語られていたトピックが、「アダルトチルドレン(AC)」や「共依存」に関する内容だ。ACという言葉に対しては聞き馴染みがなく、漠然としたイメージしか持っていなかったが、本著では「自分の生きづらさが親との関係にあると認めた人」と定義していた。生きづらさを感じる場面はたくさんあるが、それが親との関係に起因すると考えたことはなかった。親の干渉が強烈だった記憶はないし、自分と親はまったく別の個体だという認識を持っているので、その可能性に気づかなかったのだと思う。ただ、ACの観点で改めて自分の言動を考えると、親との関係の影響も少なからずあるようにも感じた。

私たちはいくら自立した独立した人間だ、私は自分で考えているといったところで、私たちを生み育て、日々膨大な影響を与えつづけた親の影響を点検せずには、本当は生きられないんじゃないか。

 また、ACや共依存という言葉が「当事者が生み出した言葉」であるという点も重要な視点だった。学術的な専門用語ではなく、当事者が自らの経験を表現するために編み出した言葉であるということ。それを尊重する姿勢が著者の語りには貫かれており、専門家が前に出て「正しい答え」を提示するのではなく、当事者との対話を著者は重視している。

 近年頻出する「自己肯定感」に対して、著者は慎重な姿勢をとっていた点も興味深い。自己完結的なセルフケアは危うさをはらんでいると指摘し「他者を介在させ、社会に受け入れられている実感を得ることが大切」と説いていた。他人を頼るのが得意ではなく、自己完結しがちな自分にとって耳が痛かった。このブログはその象徴とも言える。一方で、定期的に友人たちとポッドキャストで話すことが、想像以上に自分の精神の安定に寄与しているのかもしれないと気づかされた。

 「自責が反転することで、他人に正義を無闇に振りかざしてしまう」という見立ても納得感があった。自己責任論が蔓延する現代社会において、自分を責め、その反動で他者に厳しくなるというネガティブなスパイラルが生まれている。なんとも言えない生き苦しさの構造を垣間見たようだった。

 親との関係はさることながら、自分自身が親となった今、子どもとの関係性について思いを巡らせる場面が多かった。まだ三歳とはいえ、自我の萌芽を感じる日々の中、四章にある育児論の数々が、個人的には本著のハイライトであった。育児に正解があるわけではないことは百も承知だが、ズバズバと言い切る語り口が心に刺さった。

親が自分の思うどおりにならない子どもを「反抗」と決めつけるのは、へんですよ。

子どもと親は対等ではないですよ。人権という意味では対等ですけどね。

子どもが何かしたとき、わがことのようにつらいということを裏返すと、子どもには何をしてもいいというのが張り付いている。この二面性をやっぱり知っておかないといけない。

「こんなに一生懸命やってんのに」と言われると、子どもは申し訳ないと思いますよね。こうやって、家族の中で無敵な存在になっていく。こういう支配のことを共依存というふうに言います。

 自分の行動が子どもに与える影響の大きさ、その「思い」が知らず知らずにプレッシャーや支配に転じる可能性を突きつけられ、ドキッとする。だからこそ「自分のことは自分でする」と子どもに伝えつつも、自責が過剰にならないように、適度なバランスを探りながら接していく必要があると感じた。

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