2025年4月21日月曜日

Black Box

Black Box/伊藤詩織

 Kindle Unlimitedにあったので読んだ。ここ数か月、映画をめぐる議論が再燃しているのを見て改めて興味を持ち、読んだわけだが、著者に対する性加害の凄惨さはさることながら、性加害を取り巻く日本社会の現状に衝撃を受けた。

 本著は、著者がTBSワシントン支局長だった山口氏から性的暴行を受けた後、裁判に至るまでの過程を克明に描いたドキュメンタリーである。もはやこの事件を知らない人は少ないだろう。それは被害者である著者が実名を公表し、加害者の逮捕が不当に阻まれた事実を告発したことによる。刑事事件としては不起訴、検察審査会でも不起訴相当となり、最終的に民事裁判で勝訴を勝ち取った。この一連の流れは知っていたが、本著を通して見えてきたのは、そこに至るまでの詳細なプロセスと、著者が抱き続けた思いの数々だった。

 ジャーナリストを志していた著者だからこそできた調査報道のような形で事件に肉薄していく筆致は映画を見ているようだった。性加害の被害者が、自ら事件の真相に迫っていくことは、日本ではほとんど前例がないはずだ。自身の体験を通じて見聞きした日本社会の旧態依然とした制度や意識を描き出すことで、それを痛烈に証明している。取材者と被告者という二重の立場を振り子のようにいったりきたりしながら、言葉を尽くしている様から覚悟がヒシヒシと伝わってきた。特に取材者としての視点は圧巻で、自身の被害を相対的にとらえながら、論点、背景を整理しており、情報を伝達するジャーナリストとしてプロフェッショナルな姿勢を感じた。

 事件の概要を把握していたものの、具体的なディテールは知らなかったわけだが、想像以上に古典的なやり口に驚いた。それは雇用者と被雇用者の権力勾配を利用した手口だったからだ。そこに「デートレイプドラッグ」という新たな手口をかけ合わせており、読んでいて本当に胸クソ悪かった。こうした加害が行われないように、あるいは行われた際に救済されるために法律や制度が存在しているはずだが、そこが機能しない現実が余計に辛い。法律が時代遅れであること、また警察の捜査手法が現代とフィットしてない点は著者が再三指摘しているが、この事件の特異性は、権力の介入で司法や捜査が歪められた可能性が示唆されている点にある。

 著者に対して誹謗中傷を浴びせる人たちは、自分が同じように権力の恣意的な行使の対象になる可能性について想像力を持てないのだろうかと、毎回不思議に思う。また「仕事の口利きしてもらいたくて行ったのだから、しょうがない」といった論調にも違和感がある。本人の同意なく避妊具なしで性交されたとしても、しょうがないことなのだろうか。全くの他人であり、本著を読んだだけにも関わらず、これだけの嫌悪感を抱くのだから著者の心情は察するに余りある。

 また、性加害を受けた際の具体的な対応やアドバイスも記されている点が印象深かった。たとえば、被害を受けたあとは産婦人科ではなく救急へ行くべきこと、日本の法律で加害者を訴える際に必要となる証拠や手続きなど、被害に遭った人が実際に必要とする情報が丁寧に記されている。今のところ自分自身が性加害に遭う可能性は高くないが、娘を育てている立場でもあり、こうした問題は決して他人事ではなくなっている。だからこそ、一刻も早く社会が変わってほしい。

 しかし、本著を含めてこれまで著者が訴えてきたことが、ドキュメンタリー映画製作における作法の不備や、その後の立ち振る舞いによって損なわれてしまいそうな現在の状況にやるせなさを感じる。事件と製作体制を十分に切り分けている論調はあるものの、作品そのものが性加害を主題としている以上、同一視は避けられず、結果として事件が矮小化されてしまう危険もある。現状の懸念点をクリアにし、日本での公開に漕ぎつける以外に、誤解や混乱を乗り越える道はないのではないかと感じる。

 文庫版には武田砂鉄氏による解説の以下ラインが印象深かった。この事件に対して多くの人が取っている姿勢をズバッと書いており、これを読んでハッとした人は読んだ方がいい。

あまりにも理にかなわない言動や判断が繰り返されると、人はなぜか、それを順序立てて振り返る興味を失ってしまう。長期にわたる揉め事を確認すると、これだけ揉めているということは、どっちにも非があるのだろうな、と片付けようとする。どちらが優位か不利かを遠目に眺める。 でも、そういうことではないのだ。バランスではないのだ。起こしたことから逃れようとしている加害者がいて、そうであってはならない、自分のような経験を誰にも味わってもらいたくない、という思いから、その背中を捉えにいった被害者がいる。

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