2024年4月26日金曜日

本物の読書家

本物の読書家/乗代雄介

 Kindleのセールで買って積んであったのを読んだ。これまで著者の作品を何冊か読んでいるが、その中でも最も読むことが難しい一冊だった。タイトルにあるように「本物の読書家なのか?」と試されているのかもしれない。キャリア2作目ということで、その後のスタイルの萌芽を目撃できるという点では読んでよかった。

 「本物の読書家」「未熟な同感者」の2つの中編が収録されている。タイトル作である前者は読み終わった今となっては後者に比べてかなり読みやすく、そしてエンタメ性があった。叔父に付き添って電車で老人ホームまで向かう電車の道中で起こる文学与太話。隣の席に座る見ず知らずの文学おじさん、叔父、主人公がお互いの腹を探り合う様は探偵ものを読んでいるような感覚だった。特に見ず知らずのおじさんが関西弁で真相を突き詰めようと迫ってくる様は名探偵コナンの服部を彷彿とさせ懐かしい気持ちになった。川端康成のゴーストライターが叔父だったのでは?というのが大きなテーマなのだが、そこに至るまでの良い意味でのまわりくどさは著者の特徴と言える。エンタメとして最適化するときに切り落とされる日常、生活の空気のようなものが拾い救われているのを読むと心がフッと軽くなる。合わせて文学論も語られているのだがナボコフの以下引用がグッときた。

文学は、狼がきた、狼がきたと叫びながら、少年がすぐうしろを一匹の大きな灰色の狼に追われて、ネアンデルタールの谷間から飛び出してきた日に生まれたのではない。文学は、狼がきた、狼がきたと叫びながら、少年が走ってきたが、そのうしろには狼なんかいなかったという、その日に生まれたのである。その哀れな少年が、あまりしばしば噓をつくので、とうとう本物の獣に喰われてしまったというのは、まったくの偶然にすぎない。しかし、ここに大切なことがあるのだ。途轍もなく丈高い草の蔭にいる狼と、途轍もないホラ話に出てくる狼とのあいだには、ちらちらと光ゆらめく仲介者がいるのだ。この仲介者、このプリズムこそ、文学芸術にほかならない。

 後者である「未熟な同感者」は大学の文学論のゼミの講義内容、サリンジャーの小説、そしてゼミに参加するメンバーの様子が入り乱れて描かれる複雑な小説で正直かなり読みにくかった。読み進めることはできるものの目が滑りまくって何を読んでいるのか分からなくなる瞬間が何度もあった。現実パートも著者のフェティッシュを感じさせる内容に今のスタイルと共通する点を見出しつつも荒削りのように感じた。こんな風に感じる私は未熟な同感者なのだろう。本物の読書家への道のりは険しいのであった…

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