2024年4月17日水曜日

女たちが語る阪神・淡路大震災

女たちが語る阪神・淡路大震災

 1003 という書店で「Women's Reading March 2024」という特集が組まれており、その特典ペーパーを眺めていたときに知って読んだ。自分自身は当時モロに被災して大阪に引っ越したりしたのだが、小学1年生だったため記憶も曖昧、そんなに辛かった記憶もない。(子どもにとっては非日常が一種のエンタメになっていたのかもしれない)そんな断片的な記憶の中で本著を読むと色々と思い出すことがあった。ただそれよりも知らなかった事実に驚くことが多く当時からの課題が今でも解決されていないことに遠い目にもなった。我々はあまりにも忘れやすいのかもしれない。ゆえにこういった証言集がいかに貴重なものかを理解できた。

 ウィメンズネット・こうべという現在はNPO法人の団体が編集した本著は、震災から1年で発行された震災に関する市井の女性たちの体験エッセイ集となっている。ほとんどすべての証言が女性によるもので震災当時の生の声が克明に記録されており、その過酷さを肌で感じることができる。今でこそSNSがあり各人の体験がシェアされやすい環境ではあるが、当時はマスメディアしかなくこういった経験を共有できる機会は少なかったことが読んでいるとわかる。そんな環境においてウィメンズネット・こうべのような団体は連帯を生み出す装置として機能しており今よりもその存在は重要な意味を持っていただろう。そしてこういった数々の証言を書籍として後世に語り継ぐ志の高さに脱帽する。ネットの海に溺れない紙という媒体の強みを感じるし、200ページ強のボリュームで800円というのは利益どうのこうのではない宣言そのものだ。

 後年、家族と震災について話した際に辛かった経験として挙がっていたのは被害の大きさのギャップだった。直下型地震だったため神戸市や長田市の被害は甚大なものだったが、例えば大阪まで出れば、そこまで大きな被害はなく変哲のない日常がそこにはあった。本著でもそのギャップに苦しんでいた話が載っている。移動して忘れたい人もいれば、その場にステイして忘れられない人もいて、そのグラデーションを生の声で知ることができて興味深かった。

 震災時に女性がいかに大変であるか?さらに別のマイノリティ属性も加わることでさらに困窮してしまう事例がたくさん掲載されている。特に高齢の女性が古い文化住宅に住んでいるケースで死者がたくさん発生したという話は辛いものがあった。マイノリティが災害時に直面する課題は今でも未解決なままのものもあるだろう。災害大国にも関わらず知見が横展開されないまま放置されていることは虚しい。自然災害のインパクトの大きさからマイノリティに対する配慮が極端に少なくなってしまい、それを自助という形で家族に内包させて行政がタッチせず問題がないかのように振る舞うのは愚策としかいいようがない。こういったことが罷り通るのは家父長制を念頭にした家族観がベースにある。最近の共同親権の法律然り思想の問題を放置していると結局それは法律にも反映されてしまう。おかしいことにはおかしいと声をあげる勇気を本著からはもらえる。

 サラリーマンとして一番驚いたのは単身赴任している夫が被災地に帰って来ず妻が1人で家を切り盛りしていたケースがあったということ。今では正直想像つかない。猛烈サラリーマンとして会社に奉仕することが95年時点でも一般的だったのかと思うと約30年かけて少しは前には進んでいると言えるだろうか。性別による役割負担の風潮はまだまだ根強い状況ではあるので、こういった本を読むことで自分の認識を改めていきたい。

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