2024年5月31日金曜日

プレーンソング

プレーンソング/保坂和志

 古本屋で買って積んであったので読んだ。著者の名前をいろんな場面で見聞きしてきたが、著者に影響を受けている作家の作品をたくさん読んでいることに今さら気づいた。何も起こっていないように見える世界も実はかけがいのない瞬間の連続で構成されている。小説を展開させるための要素が不必要に添加されていないプレーンソングならぬプレーンヨーグルトのような小説だった。

 主人公は中村橋に住むサラリーマンで彼の生活と周辺の人物を中心に生活が描かれている。そして猫についての小説でもある。今の時代だと怒られるかもしれないが、野良猫に餌付けする様子が細かく描写されている。猫の一つ一つの挙動がとても生き生きしていて、猫をなんとなく眺めているときの感覚を味わえる。「なんとなく」というのが重要で注視しているわけではなく、いい意味でそこに猫はいるだけ。主人公の友人の以下のラインはそのことをずばり言い表している。

あなたの事情は猫には関係ないから。もともと猫は、猫の見えてない人相手に歩き回ってるわけじゃないから。あなたに猫が見え出してはじめて、猫にもあなたが存在するようになっただけだから。

 主人公のまわりの人物がとても魅力的なのも好きだった。主人公の一人称ではあるものの媒介のような立ち振る舞いをする場面が多く、その目で見た他人の様子をこんなにリアリティをもって描ける点に驚く。特に会社の同僚まわりは既視感があり懐かしい気持ちになった。連絡とったり会おうとは思わないけどたまに思い出す人たち、みたいなふわっとした感覚が呼び起こされた。

 カメラやビデオといった日常を切り取るツールにまつわる描写が多いのも特徴的で、特にビデオを撮るゴンタと主人公のやりとりは本著および著者のスタンスが明示されていた。小説もビデオもある瞬間を切り取ることになるわけだが、その対象は必ずしも分かりやすいものである必要はないということ。たとえば誰かと誰かが会話しているとき、その二人ではなく横で聞いている人にフォーカスするということ。「何気ない日常」と言えば陳腐であるが、しかし眼前に存在するのは日常そのものなのだという話だと思う。ここが好きだった。他の作品も読んでみたい。

生きてるっていうのも大げさだから、『いる』っていうのがわかってくれればいいって

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