マザーズ/金原ひとみ |
エッセイ、小説を立て続けに最近読んだ中でSessionにゲスト出演している回を聞いた。育児について語る場面があり本著が紹介されていたので読んだ。文庫版の解説にもあるように本音は人を傷つけるから蓋をするケースが多い中、もっとも聖域となっている育児において、女性の悲しみや怒りといった真っ直ぐな気持ちがこれでもかと詰め込まれた小説で圧倒された。
三人の女性を描いた群像劇となっていて、ユカは小説家、ユカの高校の同級生の涼子、ユカと同じ保育園に通う娘を持つモデルの五月が登場する。バラバラの背景を持つ彼女たちがそれぞれ育児する中で直面する現実を細かく描いている。小説ゆえの展開のエグさはあるものの「育児に対する無理解」という通底するテーマは極めて卑近なものだ。登場人物が三人いるからとはいえ文庫で600ページ強というのは特大ボリューム。読む人によってはかなりキツい描写が続くものの、怖いものみたさが勝ってひたすらページをめくっていた。
子育てする中で当然我が子はかわいく思えるし唯一無二の存在ではある。ただ大人になると思い通りにならないことへの耐性が低くなっており、子どもの無邪気さをどうしても受け止めきれないときがある。この小説では、その無邪気さに対する親の持つダークサイドにフォーカスした育児小説となっている。これが分かりやすい。
私たちは自分の負の感情を子供たちに見せないように、ある種の感性を麻痺させて進化したのだろう。でもシンデレラ城の裏が張りぼてであるように、子どもたちが目にする優しい母親の裏には、ぞっとするようなマイナスの感情が渦巻いているはずだ。
著者になぞらえやすい小説家の登場人物がいるし、その役目を使ってメタ的展開もふんだんにあるものの、残り二人にも著者の情念がこれでもかと捩じ込まれており筆が走っていることが読んでいて伝わってくる。育児する上でこの日本社会に横たわる女性の不条理を叫びたい、書きたい。たくさんの鬼気迫るシーンもあいまって、育児している当事者に対して悲痛な思いがグサグサと胸に刺さってくる。また小説家という設定を用意することで他の登場人物たちを一方的に追い込んでいくわけではなく自戒の要素が含まれハードな内容のバランスを取っているように感じた。
読者と比較的立場の近い涼子がワンオペで追い込まれていく描写がとにかく辛く息がつまる。ワンオペは物理的に子どもと1対1で孤立している状況だが、仮にワンオペでなくとも孤立することを本著では手を替え品を替え伝えている。誰もが子どもに対して加害者になりたいわけではないが育児で追い込まれること=圧倒的正しさに責め立てられる辛さ、ミスの許されない辛さをこんなに言語化している小説はないだろう。このラインは育児などに関係なく刺さる。
私たちには弱者に向き合う時、常に暴力の衝動に震えている。私たちには常に、弱者に対する暴力への衝動がある。でも暴力の衝動に身を任せて弱者を叩きのめしても人は大概満たされない。
本著を読んで最も印象に残ったのは登場人物たちが感情を激昂させる際の表現として読点なしの独白だ。いずれも夫に裏切られた登場人物によるものなのだが読点のない文章が持つ迫力に圧倒された。文字圧とでも言いたくなるような表現。特にユカがブチ切れるシーンはラッパーのファストフローを聞いたときのようにガンフィンガー立てるレベルだった。
すべてのベースにあるのは男尊女卑がはびこる社会に対する怒り、女性に対する育児・家事の負荷の大きさに対する憤りである。男性の育児休業取得など、近年では目に見えて変わってきている部分もあるがまだまだ対等とはいえない。「母性」という言葉が生むプレッシャーに苦しみ育児をする母親ではなく一人の女性としての尊厳が欲しい、その切なる願いが悲劇を生んでしまうのが辛い。終盤にかけて救いのない展開が続くものの孤独にはならず夫がそばにいることは示唆的だ。二人を繋ぐのは子どもではなく愛なのではないか?そして逆説的にその愛があれば悲劇は起こらないのではないか?と考えさせられた。著者の筆力が最大限発揮されている快作かつ怪作。
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