2024年9月11日水曜日

たのしむ知識 菊地成孔と大谷能生の雑な教養

たのしむ知識 菊地成孔と大谷能生の雑な教養

 菊地成孔成分を定期的に摂取するべく新刊を読んだ。盟友大谷氏との雑談がてんこ盛りに入った一冊であっという間に読み終えた。批評ほどのハードさはなくとも、何かを見立てることのオモシロさに改めて気付かされた。そして過去最大級に二人がパーソナルなことについて語っている点も興味深かった。

 本著と同じような雑談本をテーマに据えて、二人が対談するという形式となっている。本について語り合うのではなく、そこを起点としてひたすら二人が思いつくままに話し倒している。その雑多さが心地よくオモシロい。タイトルにもなっているとおり「雑」はテーマと言える。ネット上でエビデンスのない「雑」な発言が跋扈する一方で、それを抑制するように裏打ちのない「雑」なことは迂闊に言えない空気も同時に蔓延している、そんな最近のムードに抗うようにバイブス満タンのフリートークがたくさん収録されている。そこで大事なのは、正しさではなく二人が放つ見立ての数々がいかにオモシロいかだ。個人的に一番納得したのは映画に対する解離性の話だった。菊地氏はそれを「アイス」と呼んでいて、家族の団欒で映画見ているとき、父親だけが話についていけず家族にうざがられる。そして一人でアイスをなめる速度が速くなる。つまり、話についていけず、画面からの情報に対して解離を起こしてしまう。コロナ禍以降、映画が全然見れなくなっているのだけど、「解離」というワードはまさしくそのとおりだと感じた。集中力がもたず、情報についていく気が失せてしまう。しかし、本著の中で語られている映画の話をたくさん読んだことで、映画に対するモチベーションが戻ったような気がするので、少しずつリハビリしていきたい。

 本当にいろんな話が載っている中、全体を通底するのは坂本龍一の不在だ。二人ともジャズやポップスについてよく話しているが、一見して影響の見えない坂本龍一が残したレガシーの大きさが伝わってくる。それはわかりやすい正史ではなく、アカデミズムとの接続やパーソナルな体験の話が中心で、こういう話を読める媒体がどんどん無くなっていることに気付かされる。当然、Youtubeやポッドキャストが雑誌的なものの代替メディアとして存在していることは理解しているが、活字中毒者としてはこういった文字媒体は、いつまでも失われずに残っていくからこそ大事だと思う。(ネットはいつか消えてしまうのが世の常。)

 また本著の特徴として語り下ろしにも関わらず、各チャプターでページの構成が異なる。これはおそらく話のタネとなる対談本のページ構成をサンプリングしているのだろう。同じ本なのに段組みが違うページがあるのは斬新だった。本著に至る『アフロディズニー』がまだ読めていないので、次はそちらを読みたい。

0 件のコメント: