イッツ・ダ・ボム/井上 先斗 |
グラフィティを題材にして、松本清張賞を受賞した小説なら読むしかない!と思い手に取った。表面的にグラフィティを扱うのではなく、本質的なグラフィティ論にまでリーチしながら、小説としてのオモシロさも兼ね備えていた。さらにはグラフィティを通して垣間見える遵法精神への反発まで描き出しており興味深かった。
二部構成となっており、これが本著の核心となっている。第一部では、記者を主人公としてグラフィティの本質を丁寧に解説しながら物語が展開される。この記者はグラフィティ愛好家でも専門家でもなく、単に取材を通じて名を挙げたいという功名心に駆られて取材する。この設定により、グラフィティ門外漢である読者のことを置いてきぼりにすることがないし、単なるグラフィティ概論というだけではなく、「承認欲求と文化」という視点から鋭い視点を提示していた。承認欲求は、私たちが想像する以上に食欲や性欲に近い根源的なものであるからこそ、SNSが流行り続けているのは間違いない。この欲求を満たすためであれば、手段を選ばない傾向がここ数年顕著となっている。その文化に対するリスペクトはなく、分かったフリをして小手先で欲を満たす。こういった掠め取る現象は、どれだけ見たかわからないし、ときに自分自身にも跳ね返ってくる。このような現代の空気を見事に捉えつつ、承認欲求の原始的発露としてのグラフィティを接続している点が興味深かった。
第二部はベテランのグラフィティライターTEELを主人公として、グラフィティを通じて世代間の価値観の違いを浮き彫りにしていく。 純粋に「街中に書きたい」という欲望と、とにかく承認されたい欲望の代理戦争が勃発する。それぞれ手段を選ばない白熱の攻防が繰り広げられ、ページをめくる手が止まらなかった。ここでさらに浮上するテーマが遵法精神である。グラフィティは街の景観を汚す軽犯罪の一つであり、法律で取り締まられる。ジェントリフィケーションが加速度的に進む社会において、もっとも忌み嫌われるだろう存在といっても過言ではない。それに対して「誰も傷つけないお笑い」よろしく、グラフィティを今の時代にアップデートした「アート」の形でカウンターしていく。もしかすると今の多くの10〜20代にとっては後者の方がしっくりくるのかもしれないと思うとゾッとした。その遵法精神について伏線がまさかの形で回収されるエンディングにグッときた。
小難しいことを散々書いてきたが、本書の真骨頂は、サスペンスとしてのオモシロさを損なうことなく、このように多角的な考察を促すテーマが散りばめられている点にある。次は何をテーマに小説を書くのか今から楽しみ。
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