色と形のずっと手前で/長嶋りかこ |
先輩からレコメンドしてもらって読んだ。女性が日本社会で育児するにあたり、どれだけのハードモードとコストを強いられるか、ひいては女性の立場や権利がいかに軽視されているか、ひしひしと伝わってくるエッセイだった。男性として育児している身として思うことは多々あった。
著者は会社のオーナーかつデザイナーとして働く、いわゆるバリキャリの女性。30代後半まで仕事に生きてきた中、出産を契機に書き溜めたメモを中心に編纂した一冊となっている。仕事と育児のバランスを模索する様が克明に記録されており、著者の人生のままならさを読み進めるうちに、自分の人生や育児のままならさが何度も頭をもたげた。エモーションが極力排除され、事実や風景、そこからひねり出す自身の見解が淡々と書かれており、育児エッセイとしてはフレッシュなスタイルだった。やはり、育児のフィールドの文字媒体はどうしても柔らかく書かれる傾向にあるが、子育ての甘い部分だけ読んでも現実味を感じないことがしばしばある。本著では育児における刹那的な感動を織り交ぜつつ、女性が育児によって失う主体性について強く打ち出しており、自分が読みたかった育児エッセイがそこにあった。また、デザイナーということもあり、エッセイとしては珍しく文章の見た目によるギミックが多い。同じく女性の育児と主体性をテーマとした、金原ひとみ『マザーズ』における句点なしのギミックを想起した。
「相反」は一つのテーマである。育児に全力投球したいが、自分のキャリアも大切にしたい。行き過ぎた資本主義に対して懐疑的であるが、デザイナーとしては常に新しいものを生み出す必要がある。人間誰しも何かの板挟みになって人生を歩んでいることが伝わってきた。育児が自分ごとにならない瞬間は必ず起こるわけだが、世間ではそれを許さない空気がある。「子どもがかわいそう」と言うのは簡単だが、当事者と外野の距離は思っている以上に大きい。
保育園に預けるようになり、小さいうちからさまざまなことを園で要求され、こなしていく子どもを見ているとたくましさを感じる一方で、この年齢だからこそ発散できる自由を抑圧しているのではないかとたまに考える。子どもを四角の箱に入れるイメージをなんとなく持っていたが、そういった類の思考が直線と曲線を用いたアナロジーで見事に言語されていて興味深かった。
すぐに変えることができない社会の構造的問題と、実際の育児の場面を結びつけているので課題を認識しやすいのも特徴的である。育児している最中だと「これは問題だな」と思ったとしても、喉元過ぎれば熱さを忘れてしまう。そうやって、やり過ごされた結果、女性にばかり負担がかかるようになってきた現状がある。その負債を冷静に言語化し、皮肉をまじえながら描き出しているので、男性としては辛く感じる場面も多かった。特に保育園の写真を見るシーンはまるで映画のワンシーンのようだった。自分も笑いながら写真を見てしまっただろうと容易に想像がついた。
私自身は男性なので、彼女がいう「社会に立ちはだかる壁」が本当の意味で見えることはない。しかし、本著のように言語化してくれるおかげで気づくことができる。最適化されたものばかり見せられる今の時代は、自分の都合に悪いものは見えなくなりつつある。ここにアルゴリズムの外側に転がる本としての存在価値があると言える。
ただ本著内で「母のグラデーション」という言葉があるように、父側にもグラデーションはある。家父長制から未だに抜け出せない日本社会の男性偏重主義について、著者と同意見ではあるが、「男」という広い括りで議論されてしまう点は正直もどかしい。女性の中にもいろんな立場があると書かれているとおり、男性サイドにもそれは存在する。彼女にそれをくみとる役目を要求するのはお門違いであることは百も承知だが、男性の育児参加が進みつつあることを記しておきたい。
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