2025年8月23日土曜日

さよなら未来 エディターズ・クロニクル 2010-2017

さよなら未来 エディターズ・クロニクル 2010-2017/若林恵

 夏の読書といえば、分厚い本を読みたい気持ちになる。そこで、ずっと置いてあった本著を読んだ。元WIRED編集長による、雑誌やウェブに掲載されていたエッセイ・評論集。五年分あるので500ページ超だが、記事の集積なので隙間時間で読み進めることができた。未来を考えるために過去や現在を見つめ直す、まさに温故知新の考えが詰まっていて興味深かった。

 2012〜2017年という近過去は、2025年の現在からすると振り返られにくいタイミングであるが、だからこそ今読むと色々と気づきがある。テック雑誌の編集長として未来について語ることを要求されながらも、著者は未来を語る上での過去の必要性を問うていた。実際、未来のことを直接言及するよりも「過去にこういうことがあった」という視座から話が展開されていくことで説得力が増している。特に原発に関する論考は、十年以上が経ち歴史化しつつある今読むと改めて刺激的で、「あのとき何が起き、何を考えるべきだったのか」を突きつけられた感覚があった。

 テック雑誌ということもあり、トピックは多岐にわたるなかで著者の引き出しの多さに驚かされた。編集長なので、一つのテーマについてどういうアプローチで雑誌を作るか、そのテーマの思索を深めているとはいえ、毎度フレッシュな視点を提供し続けることは並大抵のことではない。

 なかでも著者が音楽好きということもあり、音楽に関する記事が豊富な点も特徴だ。ビジネスとしての音楽について論じたり、匿名ブログでブックオフの500円CDをレビューしていたりと切り口の幅に驚かされる。世代や音楽の趣味は異なるものの、読んでいて興味深いものばかりだった。たとえば、アイスランドの音楽シーンのエコシステムは、グローバル化の時代に読むと新鮮だし、K-Pop論は今日のグローバル・ポップな状況を予期したような内容となっていた。そして、近年の爆発的人気の拡大に伴い、ヒップホップ周辺で巻き起こるさまざまな事象にモヤモヤするわけだが、結局は著者のこの言葉に尽きるなと思える金言があった。

音楽好きは、音楽好きを敏感に察知する。音楽ファンが、アーティストのみならず、レコード会社なり、オンライン/オフライン問わずショップなり、新しいメディアやデジタルサーヴィスなりのなにに注視しているかと言えば、結局のところ「こいつら、ホントに音楽が好きなのかな?愛、あんのかな?」というところでしかない。

 音楽に関する内容の中でも、ソランジェとビヨンセがそれぞれ2016年にリリースしたアルバムに対するレビューに一番グッときた。特にソランジェのアルバムについて、その音像からしてエポックメイキングな内容で個人的にかなり好きなのだが、特にリリックの考察まで含めたアフリカ系アメリカンの現在地に関する考察が目から鱗だった。こういう記事を読むと、サブスクでひたすら新譜を右から左に聞きまくっているだけの音楽生活について考えさせられる。つまりは、アーティストが残した作品に対して、ちゃんと向き合うことがいかに必要で重要であるかということだ。

 また、本著はクリエイティブ論としても読むことができる。テック雑誌といえば、テクノロジーの発展に対して過剰に期待して持ち上げそうなものの、そういうものとは意識的に距離を置いている。厭世感が漂う中で、クリエイティブに対してエンパワメントに溢れる言葉がふと現れる。そんなギャップがあるからこそ、読み手は著者の言葉を信頼し、活力を得られるのだろう。終盤、トランプが一回目の大統領選を制した際の「分断」をめぐる記事は、日本にもその波が訪れているからこそ、当時よりも迫るものがあった。「私たちは他山の石にできたはずなのでは?」と思ったりもするが、世界の潮流はそう簡単に変わるわけもない。未来をただ夢想するのではなく、現実や過去を直視しながら考えること。その重要性を改めて教えてくれる一冊であり、2025年の夏に読むにふさわしい読書だった。

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