最近、奇奇怪怪というポッドキャストを聞き始めてそこで紹介されていたので読んだ。発売当時も気になっていたのだけど、お笑い、漫才に関する小説といえば『火花』という圧倒的傑作が脳裏をよぎってしまい躊躇していた。しかし実際読んでみると著者はそこも承知の上で小説を通じて今のお笑いを批評する形になっておりとてもオモシロかった。おもろい以外いらんねん/大前粟生
高校時代の同級生2人がコンビを結成してプロのお笑い芸人として売れることを目指す。このど直球のプロットに対して主人公を2人の友人である第三者としている時点でお笑いについて距離を置いて描こうとする姿勢が分かる。お笑いを始めた人、始めなかった人のそれぞれの人生が交錯していくのだが、特徴はコロナ禍真っ只中の話だという点。今となっては完全に過去の出来事で一体どうやって過ごしていたかも記憶の彼方になりつつある中で改めて創作物で読むのは非常に新鮮だった。特にお笑いは密が一つの売りの商売がゆえに距離を取ることによる価値観の転換(コンビ間の思想も含め)が如実に表現されていて興味深かった。
2人のお笑いコンビの片方がバラエティで重宝されて、ネタ原理主義者であるその相方はテレビに出られない。そして前者をカラッポと表現している点から昔のハライチを想起して読んだ。お笑い芸人としてどんな形で笑いを取っていくか、その形にこだわる人間とこだわらない人間のギャップについての考察が物語を通じて行われる。後者のこだわらない人間による容姿いじりや女性へのセクハラが近年は問題視されるようになりつつあり、その過渡期の物語としてこれほど自覚的なエンタメは読んだことがなかった。
特に最近は松本人志の騒動についてどうしても考えざるを得ない。彼を経典とするお笑いを長年見てきた身からすると、どういう気持ちになればいいのか本当に難しい。彼の及んだ行為を嫌悪する気持ちはあるし、それに由来するであろうホモソーシャルなノリ、近年のニュースバラエティでの権力側への擦り寄りなどは結構しんどくてここ数年は敬遠していた。しかし、彼が構築してきたお笑いの価値観で育った身だし、過去に死ぬほど笑わせてもらったのも間違いなく、すべてを否定するのも苦しい。その狭間で揺れる気持ちが正直ある。
本著はそんな揺れる気持ちに対して「おもろい以外いらんねん」と優しく諭してくる。物語の力を駆使して全力で「傷つかないお笑い」を肯定しようと思えばできるはずのところを敢えて結論を迂回させつつ終盤にタイトルをダブルミーニングで使った展開となる点が白眉だった。現状維持ではなく変わりゆく社会に順応していくのもお笑いでありカルチャーだよなと思わされる。ネタ原理主義者の彼が放つ以下のラインが今一番グッとくる言葉。
笑いが傷つかない漫才がしたい。
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