U 相模原に現れた世界の憂鬱な断面/森 達也 |
事件を引き起こした植松が殺害の動機として「世の中の役に立つか?立たないか?」だった。それは今の社会に漂う空気そのものだと思う。「私」という主語ではなく「国家」という大きな主語を用いて社会の利益を重視せよという空気。そんな空気に中指を立てるために必要なことは多面的な情報を収集して自分で考えることなんだろう。分かりやすい図式の奥にある物事の本質をつかみ取るために。 重度障害者施設で19人を刺殺した、こんな世紀の大犯罪をおかした人間は極刑で捌かれるべき!という反応は真っ当かもしれない。「なぜこんなことが起こってしまったのか?」を追及せず感情に身を任せて安易に死刑判決をつきつけてしまうことに著者は異論を唱えている。なぜなら同じことを繰り返さないためだ。しかしオウム事件以降、被害者感情が優先される社会が少しずつ醸成されてきた今の日本では事件を深堀りしていくことは「正論」が邪魔してそれを許さない。その空気に飲み込まれていく裁判員制度や精神鑑定のあり方など読んでてしんどくなるところが多かった。そして終盤にかけて、この事件が問いかけている境界線の議論、つまり命の重みを誰がどこで判断するのか?までリーチしている。健常者と障害者で区別して自分とは関係ないと社会がすまし顔を決めてスルーされる。
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