しらふで生きる/町田康 |
新刊でリリースされたときから読みたい思っていたら、いつのまにか文庫化されてて読んだ。町田康の断酒エッセイとなれば一筋縄でいくわけないことは百も承知なわけだが想像の百倍上いく回りくどさが最高だった。正直今の生活で酒を一切断つ未来は一ミリも見えない中でロジックが積み重ねて酒を止めてる未来を想像させてくれる、その屁理屈ぷりにマジでビガ!
断酒エッセイを読むにあたりまず一番最初に知りたいこと、それは止めた理由に他ならない。そこを起点に禁酒方法や感情の起伏といったあれこれを語るのが常套かと思うが一筋縄でいかない。様々な禁酒の方法やその実現不可能性などを冗長に語りひたすら核心に迫らない。タイパ至上主義者なら途中で読むの止めること請け合いなのだが、とっ散らかるように見える内容を追いかけている間に禁酒するとはどういうことなのか徐々に焦点を結んでいく。そのベースにあるのは酒を飲むことが正気で、飲まないことが狂気であるというマインドセットだ。狂気を乗り越える自己認識改造が彼の断酒方法であった。
彼にとって飲酒は人生の中で一大事であるからこそ単純に酒を止めるという話に収まらず人生論になっている。自己認識を改めて必要以上に自分の力や境遇を過大評価しない、つまり人生に期待しない姿勢を彼は説いている。また幸福と不幸は等量であるとか、そもそも人生は楽しくないとか、自分が幸福になるべき人間だと過大評価しないとか。セルフラブで自己肯定感を高めていこうという時代の今、それとは逆の価値観を提示しているように思う。ただ著者のその塩梅は絶妙かつ軽妙。ともすれば説教臭くなるところをギリギリのところで回避しつつ興味深い示唆をもたらしてくれている。刺さったラインを引用。
高めの目標を掲げ、ときに屈辱感や挫折感に苛まれ、「くっそう、埒あかねぇな」と呟きつつも、それに向かって無駄な努力を重ね、少しずつでもなにかを習得していくことが生きるということではないか、と自分なんかは愚考する。
そうやって不安を宥めるために酒を飲む姿は自分の人生の経営者ではない、まるで利子を払うために借金を重ねる多重債務者だ。
毎日飲酒しているもののナイトキャップレベルの量しか基本的には飲んでいない。でもたまに飲まない日があり、そのときの生産性の高さは捨てがたいものがあるなと歳を重ねるごとに感じている。だからこそ脳みその中が酒浸しになっているという本著内での表現に首がもげるほど頷いた。止めようと思ったときに再読したい。
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